鹿島美術研究 年報第9号
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2.水彩圃挿絵集としての『夜想』絵が絵画的な質を重視するもの(たとえば名画の複製とか)であれば,タブロ一面の一般的な形式として横長の型式をそのままとし,それをテクスト頁に挿入することもあった。したかって,現実には完全な形でその構想は実現しなかったけれど,ブレイクが抱いていた全頁挿絵付きの本を作るという構想は,いうまでもなく面期的なことであった。しかも,プレイクは,上に述べた一般の銅版圃挿絵本の型式の中途半端さを改善するべく,挿絵と文との間に新たな型式を模索しようとしたのである。それが,ヴィジュアルな観点から,絵画と文学という両要素の関係の観点からいかなる意味をもっていたかは,すでに拙著(『銅版画師ウィリアム・ブレイク』1989 京都書院)で述べたのでここでは重複して述べない。また,水彩圃が銅版圃に彫られ,本になる過程において,そうとうのデザインの書Il愛を強いられ,構成も再編集を強いられ,結果的にかならずしも当初の構想辿りにはならなかったか,そのあたりの経過についても拙著に譲りたい。ただ,銅版圃師を表向きの職業としていたブレイクか,若い時期から挿絵本の制作の現場に立ち合い,その折の絵圃とテクストとの関係の問題を他人より敏感に謡識していたこと,そして初期に自著に横長の圃而による銅版画本を構想したこともあったこと,またこの開]題の解決のために自作の詩の出版にあたっては,旧米の銅版圃ではなく「彩飾本」(1787頃制作聞始)という方式が考え出され,それかすでに着々と成果を上げつつあったこと,そうした経過から,『夜想』の本を構想する際に,一般の挿絵本のようにテクストとデザインが分離したままの状態で存在するのではなく,できるだけ相互に密着して関連し合うという基本的な態度を買こうとして,新たにテクストのまわりをデザインが取り囲むという『夜想』の頁方式が考えi廿されたことを改めて指摘しておきたい。本研究の課題は,これまでに述べてきた,またすでに拙著で論じたlli]題を蒸し返すことではなく,銅版画本の『夜想』の「下絵」的な役割を果たしただけでなく,ブレイク本来の構想であった水彩圃集の位置づけと問題点を,大英博物館所蔵の実際の作品を観察検討の上,考察することであった。これについてはオックスフォード大学出版から全作品を収容した大部の本が出ているか,残念なからすべてがカラー図版ではなく,図像の研究だけならともかく,ブレイクにとって欠かすことのできない表現手段としての水彩画という間題にまで踏み込んで考察するためには,結局図版は図版に-251

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