鹿島美術研究 年報第9号
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描,普通はペンとインクによるいわゆるインク素描を銅版画師に提供していた。したがって,こうした制作手続きによる版画も一般に複製版圃と呼ばれるが,この場合,完成画を複製する場合とは異なって,原圃に忠実でなければならないという強制はそれほど強くなく,銅版画師の側の創造的工夫もしくは個性的解釈の余地が残っていた。徒弟の年限を終えてしばらくのブレイクに銅版画の仕事を提供してくれたトマス・ストザートの場合も,ブレイクその他の銅版画師に与える下絵は,インクまたはグレーのウォッシュでなされたモノクロミックな素揺であった。(もっとも,拙著で指摘している通り,16世紀から17世紀初頭の時期とは異なり,18世紀の銅版画師には原画に忠実というのがこの職業に強く課せられた使命であり,目標となっていた。)未完に終わったブレイクのごく初期の挿絵付き叙事詩『ティリエル』も,おそらく銅版画集として計画せられたためか,その絵はモクロミックな素描で描かれている。銅版画集のために素揺を描くという第二番目のケースになる『夜想』の場合も,銅版画が作られている冒頭の数章の部分に関しては,インクやグレー・ウォッシュによるモノクロミックな素描ではなく彩色のある水彩画であるとしても,銅版画と比較すると,そのトーンの構成も版画において忠実に再現されているといえる。逆に,当時の好みである軽い調子の銅版画に合せるためか,その水彩画はシンプルに比較的薄く彩色されており,そればかりでなく何も塗らない白地が多く残されていることもその特色であろう。発注の状況はもちろんのこと,そうした点からしても,『夜想』の水彩画集には下絵的な意味合いが色濃く込められていたことは疑いない。その意味からすれば,制作の量は,水彩画の技法の熟練という結果を引き出すであろうとは推量されても,それが,『聖書シリーズ』(1800-6頃)に繋がる創造的なステップとなり得たかどうかについては疑わしいとせざるを得ない。野心と意識の変化出版物としての『夜想』は,一般的に見て挿絵の分量からしても画期的な仕事であることはいうまでもないが,デザイナーとしてのブレイクにとってもその型式に込めた独創的なアイデアからして,また銅版画師としての彼にとってもその評価か揺らぎ始めた時期に舞い込んだ起死回生の画期的な仕事になるはずであった。だから,ブレイクが野心を掻き立てたことはいうまでもない。すでに述べたように下絵としての抑制された制作ぶりで始められたのだが,ところが,こうした野心と主題が喚起するも-254-

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