ののためか,水彩画制作そのものが段々熱を帯びてきて途中から変質して行くのである。このことについての確信は,実際の作品の精密な調査からしか得られないであろう。作品全面を描き込んでいるかどうか,銅版画集のもっている一般的な中間トーンとの関連はどうか,使用顔料の数とその処理はどうか,絵筆の塗りはどうか,と逐一チェックして行くと,厳密には言えないにしても,537枚のシリーズのほぼ半分を越えたところくらいから,ブレイクが下絵素描に求められる以上のところまで踏み込んで水彩画制作にのめり込んで行く姿が観察される。彼は,ていねいに全而に絵を描き込むことが増え,中間トーンも段々と考慮しなくなり,1頁に使用する顔料の数は増え,トーンの上では差がなく色合いの上では効果的に対比される色彩を使用したり,重ねり,混色等々複雑な効果が段々と求められるようになってくるのである。こうした観察から,『夜想』の水彩圃挿絵集は,単にその膨大な制作絨においてではなく,作者その人の慈識と関心の変化から『聖書』に繋がって行くのだと結論づけることができる。その機会にブレイクが表現手段としての水彩圃の可能性に徐々に開眼して行ったのだと言えるのである。そしてそれは,画面の処理によって多彩な効果が得られる可能性に対してであり,何よりもトーンだけを基盤としたものから色彩(色合い)を活かした絵具の使用法に日覚めて行ったということであろう。それによって,ブレイクの「表現」と「幻想」は輝きを増して行ったとも言えるのである。『夜想』と『グレイ詩集』の評価ブレイクの友人だった彫刻家のジョン・フラックスマンの妻は,銅版画集の方ではなく,この水彩画集の方にこの上ない魅力を感じた。その彼女のために,ブレイクは,さらに『グレイ詩集』を,銅版画化は考えないで今度は純然たる水彩圃集として制作することになる。これも116点におよぶ大部のもので,なかなか奇怪なイメージを含むおもしろい作品だが,色使いはともかく仕上げがラフなのとトマス・グレイのテクストの内容との関係からブレイクの作品としての質の評価はあまり高くない。そうした作意欲の衰えの徴候と見る見方が一般的である。しかしながら,これも,『夜想』の後半に生じたブレイクの色使いの変化と関連づけて見ると,むしろその問題は維持され,その意識は『聖書シリーズ』へと伝えられていると解釈することもできるのではないだろうか。を1800年前後のブレイクの精神的な落込みとの関連づけて,ブレイクに生じた創-255-
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