鹿島美術研究 年報第9号
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⑰ ハイバーノ・サクソン装飾写本に於ける文様美術の影響関係研究者:早稲田大学文学部非常勤講師鶴岡真弓1.ハイバーノ・サクソン装飾写本群の様式的特徴アイルランド,ダブリン大学・トリニティーカレッジ図書館蔵のケルト系写本『ダロウの書』(680年頃。アイルランド中部の修道院ダロウに伝来)には,ケルト民族かヨーロッパ大陸に居住した期間(紀元前700年頃〜紀元後400年頃)に,金工品美術に表現したいわゆる「ケルト文様」が集合的に表現されている。すなわち「渦巻文様」(fol. 3),「組紐文様」(fol.1, fol.85他),「動物文様」(fol.192)といった異教時代のケルト美術に頻繁にみられる文様のパターンか,形態上の衰微をまったくみせることなく,依然,それよりはほ‘1000年遡るラ・テーヌ(現スイスのケルト集落・硲所遺跡)の金工品装飾の文様の形態的密度・構造の桐密さ・有機的廿l]線の生命感を保持しながら,ケルト伝統の文様美を主張しているのである。この『ダロウの書』は現存する最古のほぱ完全な構成をもつケルト系福音書写本であるか,『ダロウの書』以降『ケルズの書』(800年頃。スコットランド西部アイオナ修道院で{|iIl作か始められ,アイルランド中東部ケルズ修道院で完成。ダブリン大学・トリニティーカレッジ図書館蔵)までのケルト系写本は,「カーペット・ページ」と呼ばれる,他に例のない装飾文様で全面を埋め尽くすページを福音書冒頭に付すのを構成上の特徴としている。また「福音書記者のシンボル・ページ」,「装飾頭文字のページ」が「カーペット・ページ」とともに四福音書各々の冒頭に置かれ,これら3タイプの装飾ページに,ケルト文様が駆使されている。このタイプのページはF・アンリ等の推定によれば,ケルト初期修道院と交流があったとみられるエジプト初期キリスト教時代・コプト写本にその僅かな先例がみとめられるだけで,古代末期のローマ写本の挿絵表現の伝統によらないこの形式は,ケルト写本工房の独自のものと考えられる。象的な神像や聖人像や情娯・場面の表現を拒否して,抽象的な文様表現を主体にを美術化するという理念は,異教時代のケルト装飾美術の継承である。たしかに,『ダロウで聖カスバートの聖遺物の移転を記念して制作された『リンディスファーン福音書(698年頃。ロンドン,大英図書館蔵)には,学僧ベネディクト・ビスコプがローマからもたらした地中海地方の写本から取られたと考えられるビザンチン風の人物(福音書記より18年後,ノーサンブリアのリンディスファーン修道院257-

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