鹿島美術研究 年報第9号
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⑱ 古代中世障壁画の研究809■823)の清涼殿に描かれていた山水圃については,かつて述べたことかあるが(千野香織『信質山縁起絵巻』第1章•平安時代前期の唐絵の様相,第2章・絵圃観の問(3) 圃中圃による研究。絵巻等に抽かれた障壁圃を,それが存在している建築の内部ー建築内部空間におけるその意義と機能一研究者:学習院大学助教授千野香織障壁画の研究は,これまで一般に,美術史学の範囲内で行われてきた。しかし,障壁画は本米,建築と一体化したものであり,建築の内部空間を区切り,その空間の性格を視覚的に表わすという機能を持っている。したがって障壁画について考察する場合には,当然のことながら,建築内部空間との関わりを考慮に入れる必要がある。本研究は,以上のような問題謡識に基づいて,美術史と建築史の両分野から,古代中世の障壁圃について共同で調査を進め,その方法を模索するとともに,小さくとも何か具体的な新知見を得ることを目的として行なった。共同研究者は,神奈川大学工学部教授の西和夫(建築史)である。研究は現在も継続中であるが,以下,これまでの経緯と現時点における成果を報告する。日本における古代中世の障壁圃の遺例はきわめて少なく,具体的な研究か困難だか,およそ3方面からのアプローチを検討した。(1) 現存する障壁圃作品の研究。障壁圃作品そのものの調査と,その障壁圃を含む建築全体の調査を並行して行ない,両者の調査結果を総合的に考察する。(2) 文献による研究。日記等から窺われる障壁画の画題や配憤等を,建築空1廿]と併せて考える。空間と併せて分析する。ただしこの場合,障壁画も建築も,ともに絵師が描いたものであること,つまり現実そのものではないことを,充分に考慮する。まず(1)(2)の2方面からの考察は,千野香織「砧築の内部空間と障壁圃ー一料f涼殿の障壁圃に関する考察」(『桂離宮と東照宮』<日本美術全集第16巻江戸の建築I.彫刻>講談杜1991年)にまどめた。消涼殿の障璧圃のうち,嵯峨天皇時代(在位題く名宝日本の美術第11巻>小学館1982年),今回はそれを踏まえ,またそれ以後の時代に重点を置いて,清涼殿の障壁圃に関する研究のテーマと直接に関わる部分である。を行なった。論文の前半が,本-261-

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