⑲ ロダンとロッソ研究者:静岡県立美術館学芸員永草次郎オーギュスト・ロダン(1840-1917)とメダルド・ロッソ(1858-1928)との関係を整理することは,その史的事実の検証によって2つの才能ーひとつはフランス,他方はイタリアの彫刻史および20世紀芸術運動を形成する形式の刷新一の直接的な影聘関係を明らかにする課題とともに,2つの独立した造形革命が一時代において,どのように呼応し,あるいは相違したかを検証することで,19世紀末から20世紀初頭の彫刻の展開の問題点をそのまま記述することになり,重要な比較要素と言えよう。さらに,すでに解明され過去の論争となったロダンーロッソ論争は,その時点でのささいな先駆者争いの争点以上に,同時代の彫刻の革新の諸相を述べあう凝縮した芸術論争となりえたし,その可能性を今日でも有している。エドモン・クラリスは,「ロダンの到着点が,メダルド・ロッソの出発点であった」と述べたが,その地点こそが論及される大きな問題であった。ロッソの芸術的背景は,ロダンよりも18歳下ということもあり,ロダン以上に新しい近代的思潮を多く幣びて形成されている。つまり,19世紀の新しい思潮である「自然主義」と「印象主義」が重要な要素となっている。また,ロッソが生まれ育ったイタリアという環塙は,一方で,古典彫刻の存在に親密な環境であり,新旧の芸術思潮のダイナミックな状況にロッソは身を置いていたと言えよう。その芸術形成において,ロダンがミケランジェロをゴシック的に展開するという古い理念に支えられていたのとは異なり,ロッソの方は,1879年サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ寺院で見たミケランジェロの《モーゼ像》を「ナポリ風のスパゲッティのかたまり」と評したように,ルネサンス以来の伝統への過激な反応が見受けられる。このことが,ロダンとの微妙な世代と環境の差を物語っている。さらに,ロッソの芸術形成において重要なものとして挙げられるのが,風俗画的彫刻で知られるジュゼッペ・グランディ(1843-94)のロンバルディア自然主義の大胆な作風に影開を受けていることであり,初期の《職を失った歌手》(1882)や《ランプの下の抱擁》などにその影特が見られる。しかし,ロッソに,より大きな刺激を与えたのは,1846年のボードレールのサロン評の一文であったことか,『印象主義の彫刻家ーメダルド・ロッソ』の著者ルイ・ビエ-265-
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