鹿島美術研究 年報第9号
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る。」絵画におけるほどには,印象主義は彫刻において成立しがたいものであった。つまり,光と色彩の効果を追求するには,彫刻は物質的であり,また,その3次元性は,それ自体を光の効果で変化させる現象となっているからである。そうした状況にあってロダンとロッソは動的な光の効果を彫刻にもち込み,動きや生命感を禅き出そうとした。しかし,光や影の効果を必要とする絵画的な彫刻追求を行ったのは,ロダンよりも,ロッソの方である。ロッソはドガに自作の作品の写真を見せ,それが絵画作品であると錯覚させたことに満足したことがある。マイヤー・グレーフェは次のように述べている。「ロダンはすべてを所有していたが,同時に何も持っていなかった。モネの絵画に始まりスーラ,シニャックに継承された印象主義は,彫刻の分野では依然として確信にみちた理論家を欠いていたのである。この役割を果たしたのが,メダルド・ロッソだった。」ロダンの《バルザック》がモニュメントにローブをまとわせることである種の抽象性と象徴性を獲得し,それまでのロダンの近代性の集大成だとすれば,ロッソの絵画的彫刻作品は,彫刻のモニュメンタリティー自体を絵画的に解体する,より革新的な性格をもっている。ロッソがロダン以上に自らの彫刻の写真化にこだわり,自ら撮影し,現像していたことも,それを物語る。ボッチョーニに受け継かれるロダンーロッソの成果は,ダイナミズムの問題であり,物質と生命,存在と生成の課題を彫刻という最も矛盾する物質において実現するという問題であった。-268

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