鹿島美術研究 年報第9号
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浅井は光琳の線についで,図案によく合うのは,ジャポニズムによって再認識された浮世絵の線だと「図案の線について」に書いている。たとえば,浅井の<蒔絵額盆図案>(『黙語図案集』)は栄之,歌麿などの女三之宮を見立てた版画にならった。そして,浮世絵の他に,浅井は大津絵にも大変な魅力を感じ,蒔絵図案のために大津絵から自由に翻案したものが多いのである。古香が浅井の図案にしたがって制作した<大津絵画替り菓子盆>(10枚,写真は杉林家蔵)に長刀弁慶,J.I恩匠,座頭,雷太鼓つりなど,大津絵の図柄の十重が描かれている。日露戦争当時の杜会を大津絵に見立てて戯画的に描いた<今様大津絵>(蒔絵巻煙草箱)もある。ここで筒単に紹介した浅井の蒔絵図案はほとんど杉林古香によって漆器になった。調査で確認できたかぎり,漆器32種(65点)に,杉林家に浅井の蒔絵図案のみ(制作品は不明)が残っているのは30点以上もある。古香の他に制作者が戸島光字(2点),岩村光真(1点),迎111秋悦(1点)などである。その中には,今まで印刷図案,陶図案あるいは日本圃と考えていたものが蒔絵図案であることかわかった。その上,『黙語図案集』に収めている蒔絵図案30点,漆器5、点の中には杉林家に保存されていない図案か11点もある。それらの数字は今まで推測されていた浅井の図案による漆器の数を大幅に越えている。井忠とアール・ヌーヴォー」,『絵圃の領分・近代日本比較文化史研究』朝日新聞社,昭和59年,324■35lp.)である。この問題については拙稿「巴里の浅井忠一図案へのめざめ」がある。(註2)京都市こl口..業試験場主席研究員の佐藤敬二氏の調査によって,杉林古香の遺族に保管されていた浅井忠をはじめ,「京漆園」に参JJIlした圃家たちの蒔絵図案が発掘された(佐籐敬二「明治末・大正期の京漆器滋匠(第3報)一杉林古香・人と作品」『京都工業試験場研究報告』第13号,昭和60年8月)。直1)浅井忠とジャポニスムの関係についてはじめて本格的に調べたのは芳賀徹氏(「浅273

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