鹿島美術研究 年報第9号
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著の中でかなり克明に拙かれている。しかし唯一の遺品はこの本に掲載<(!'Art du Laque>の中の記述を引用する。Dunandに会って漆芸の基礎技法を教えた。1912年5月16日に第1回,5月21日に第2回の1940年代にスガワラは彼自身の名による作品を残さないままに世を去った。彼以外にもInagakiとかOusoudaという名のエ匠がパリに居たことは残存する資料によって知ること・アルバムの複写。②パリ装飾美術館の記録の調査。③同館付属図書館の文献の複写と写真撮影。④パリ市内主要画廊所蔵作品の写真撮影。濱中夫人には度々お会いして御協力をいただいた。〔スガワラ〕アール・デコに関する文献に必ず登場するSougawaraという人物は,浜中家に残る新聞記事によれば岩手県浄法寺出身の漆工家であるらしい。彼のパリでの活躍ぶりはPeterAdam されている彼の顔写真だけである。生年月日や没年も不明である。Lorac-Gerbaud著……スガワラ以前のフランスには漆工芸は無かった。ほどなく彼はEileenGrayの専属の協力者になった。Grayに日本の古典的な漆芸を教えたのは彼である。ついで彼はJean指導をしたことは,Dunandが熱心に書きとめたノートによって知ることができる。スガワラは濱中にもごく簡単に漆芸を教えた……。ができる。これらについては国内においても更に調査を進めて行きたいと思っている。-278-
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