あろう。つまり絵画に表現されたイメージをイメージたらしめていた批評的な時代性を明らかにすることこそ,美術史家の目的であるとフリード教授は考えているのであり,こうした観点は一般的な美術の歴史ではあまり語られなかったアメリカの「リアリスト」トーマス・イーキンスと日本の写実主義画家山本芳翠の作品を分析する際,最も有効な研究方法を提供することになるのである。0講演の内容結果の概要トーマス・イーキンスと山本芳累は共に19世紀後半期にフランスに渡り,同じように当時アカデミズムの重鎮的存在であったジェロームを師としている。そしてその後,それぞれ自国に戻って,アカデミズムに根ざした技法によって写実的な作品を制作している。二人の写実的絵画の技法に関して,彼らの渡仏の影曹,特に師であったジェロームの影聾は見逃せないものである。さらに二人が渡仏した1860年代から1870年代という時代が,二人に与えた影縛もまた非常に重要な考察の対象となる。この時代は周知のようにフランスにおける近代形成期,つまりモダニズムの時代である。17世紀以来画填に君臨してきたアカデミーが急速に弱体化し,新しい気質をもつ芸術家が続々と登場してくる。特に1863年の『落選展(Salondes Refuses)』,1874年の第一回『無名画家,彫刻家,版画家協会展』つまり印象派展が象徴的である。オールド・マスターは姿を消し,絵画における混乱の時代が幕を開けたのである。この混乱は従来のリアリズム絵画観の混乱を招くものでもある。今回の会議の主役であったイーキンスと山本芳琴は一般的にリアリズムの画家と呼ばれているが,しかし当時リアリズムを旗印にしていたのは両者が学んだアカデミズムではなく,そのアンチテーゼである前衛主義者たちであった。1850年代にはギュスタヴ・クールベがそして1860年代にはエドゥアール・マネが,さらに1870年代にはモネを代表とする印象主義者たちがこの名のもとに「新しい」絵画を制作してゆく。そのような状況にあって二人の師であったアカデミズムの画家ジェロームは,当時の「レアリスム」という概念からは最も掛け離れていた画家であったともいえるのである。こうした背景を考慮に入れながら,今回の会議における講演内容の概要を辿ろう。i)マイケル・フリード教授『T・イーキンスの絵画について』トーマス・イーキンスは渡仏後,母国アメリカのフィラデルフィアに帰って最初の大作『グロス教授の解剖学講義』を制作する。この作品は1875年のガ国博覧会絵画部門に出展されるのだが,あえなく落選してしまう。解剖を行っているグロス教授の鋭-300-
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