鹿島美術研究 年報第9号
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作品を第一資料とするなら,イーキンスの作品がアカデミスムかあるいは前衛かという問いは全く意味のないことなのである。言い換えるなら,そうした問いが成り立つのはフランス19世紀後半期の批評的フィールドにおいてのみである。つまり従来のリアリズム観はそれぞれの時代のコンテクストに縛られた見方しかできていなかったのである。こうした従来の方法は,フランスにおいて活動した作家の作品の考察には非常な成果をもたらすが,一方でイーキンスの作品においては全くの障害物でしかない。そうした意味で,フリード教授の絵画分析は,「ライティング」という今まで意識されなかったイメージを解読しながら,それぞれの時代性あるいは地域性を色濃く反映しているといえるであろう。ii)古川秀昭氏『明治期の絵圃について一山本芳累を中心に』フリード教授のトーマス・イーキンスの絵画の発表をうける形で,山本芳摩の写実的絵画を分析することは非常に興味深い体験であった。古川氏によるなら芳翡の絵画作品には,西洋の写実的絵画と日本の伝統的な絵画との葛藤が現れている。そこには西洋の写実的技法と西洋絵画の伝統である「物語性」がいかに一体化したものであったかが現れている。とくにアカデミズムにおいてはそうであった。日本では伝統的に物語絵画を一つの時間と一つの場面の中に描かれることはなかった。またその場面の瞬間性を支える写実的な迫真性は必要とされなかったのである。そうした背景あって,芳平は自らの絵画の技法を日本の風土のなかでいかにして生かすべきかが常に課題となったのである。芳知の絵画作品は今日においては「写実的」絵画なのであるが,興味深いことに芳自身はそれが現実にある人や物を直接的に模倣して得られた結果として捉えてはいなかった。つまり芳却は西洋的な写実絵画を制作するとき,現実の物を模倣するのではなく,西洋絵画作品を模倣したのである。日本に存在しなかった類の写実的技法そのものを模倣したのである。その結果彼は日本的な主題に西洋の技法を応用する方法を最後まで模索することになった。もし,リアリズムが目の前の物を写し取った作品に過ぎないとするなら,西洋の技術をそのまま日本の風土に適応させることもできたことであろう。芳平の試みを辿ることによって,逆説的に西洋のリアリズムがいかに主題,そして「物語性」と密接に関係かあったかが明らかになるのである。一方芳界自身は一つの統一的な「様式」を定立することの困難性を痛感しつづける生涯を送ることになったのである。-302-

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