鹿島美術研究 年報第9号
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〇おわりに一写実的絵画の読解可能性以上のようにフリード教授のイーキンス論と古川氏の芳平論を振り返るなら,「写実的絵画」の表象のうちにも読解可能な内容が豊富に盛り込まれていることは明らかである。特に今回の講演では日米の画家が当時直面していた問題の所在が具体的に示されたように思う。二人の作品は,一般的にリアリズムとしで性格づけられることが多かったが,こうした性格づけの背後には,リアリズムあるいは写実に対する今日の偏見があるように思われる。20世紀以降,抽象絵画が台頭する中で,写実的な絵画は保守的とみなされ歴史的に顧みられることはほとんどなかったといえる。それゆえイーキンスや山本芳平の作品の歴史的評価は決して重要な位置を与えられていなかった。これまでの美術史においてはリアリストはなによりもまず眼の前にある物体あるいは人物を,ありのままに,つまり即物的に描くのだと暗黙の内に了承されてきた。その結果美術史全体を通じて,リアリズムと呼ばれる作品においては,作家の紅図の研究は問題とされてこなかった。たとえ,作品の中に何か不可思議な物があったとしても,それは作家の眼の前の物を描いた結果であるとして,研究の対象とすることが拒否された。今回のシンポジウムにおける両氏の発表はこうしたリアリズム観に対して全く別の見解をあらわしていることは明らかであろう。従来のリアリズム観への批判はここ20年間さまざまな形で盛んに論じられており,その怠味でも今回の会議は重要であっただろう。例えば,スヴェトラーナ・アルパース教授やリンダ・ノックリン教授は従米リアリズムと呼ばれてきた様式,あるいはイメージを「読解」しようとした。つまりあるイメージがいかなる過程を経て現実感,とくに芸術的見地からみた現実感に到達したかを明らかにした。歴史的にみれば,単に現実抵界との類似でのみある種の絵圃がリアリズムであると規定されてきたわけではないのである。こうした方法とは違ったもうひとつの別の観点から写実的絵画の読解を試みた今回の会議では,その芸術的な構造を作品分析の核とした点が重要であり画期的であった。絵画の「物語性」ということになるとリアリズムほど問題を含んだものはないのである。一枚の絵画がいかなる構造によって絵画の現実感を生み出しているのかという問題はこれまであまり行われてこなかった。しかし,フリード教授や古川氏が分析の対象としたイメージの「読解」は,リアリズムと呼ばれてきた絵画がいかに「読解行為」に対して開かれた芸術的イメージであったかが明らかになったであろう。-303-

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