林進の論文は,辻氏が示された新視点に立ち,山雪の幻想の世界を,かれの代表作『盤谷図』を通して明らかにした。その論文の概要は,つぎの通りである。「狩野山雪が晩年の五十歳代後半ごろに描いた盤谷図は,唐の文豪韓愈の『送李應帰盤谷序』を日本で最初に絵画化した作品である。これは,現在は掛軸装であるが,制作時はかれの友人で朱子学者那波活所(1595-1642)か書いた『盤谷序』と題字とを具えた中国文人画によくある図巻形式の作品であった。この画は,実感的であり,そして幻想的な山水画である。山雪のこころのうちにある理想の仙境を表現したものである。その制作には,明の万暦期に刊行された『古今圃譜』や『列仙全伝』などの画譜,挿絵の版本から,多くのモティーフを得ている。山雪は,江戸時代初期の専門圃家の狩野派の中にあって,日本で最初に文人画を試みた異色の画家である」。『山楽山雪山水11店』は,京狩野末裔の家に伝わったものであり,山楽・山雪の自筆の下絵・縮図を含む点で京狩野研究上欠かせない重要賽料である。本画帖は,山雪の先駆的研究を行った土居次義氏によって,かつて一部が紙上で紹介されたことがあるが,大和文華館の山雪特別展において初公開され,ひろく識者の注目を集めた。1989年春の静岡県立美術館の特別展「狩野派の巨匠展」にも展示された。奥平俊六氏は,この『山楽山雪山水lllr1i』にある総計48図を分類整理し,従米からいわれている「山楽圃系を引く江戸末期の圃家たちの筆になるもの」という説に対して,「かなり初期の京狩野,とりわけ山雪とその周辺の圃家の下絵・縮図を中心にまとめたものである可能性がたかいのではないかと思われる。少なくとも,画11店装にした者とく真〉字を記した者とには,山雪を顕彰する気持ちが強かったことは聞違いないであろう。」と指摘した。この資料報告は今後の京狩野研究に活用されるにちがいない。我妻直美氏は,山雪の代表作の一つ『雪汀水禽図屏風』をとりあげ,とくに,かもめの舞い飛ぶ右隻について,中国元代の花烏圃,伝趙珈筆『雪中柳狡図』(西本願寺蔵)にヒントを得て制作された可能性を指摘し,また,その前段階として,天球院の『寒梅図襖』と『雪中柳競図襖』の制作があると考え,山雪の漢画学習の意義を述べる。また,右隻と左隻か「漢画」対「大和絵」という対立関係を発見し,「この作品の魅力のひとつは,様々に交錯する,対立概念及び対立要素のぶつかり合い,あるいは融合の中から生まれた,独持な調和というものにあるのではないだろうか」といい,今までになかった見方を提示した。このことは他の山雪画についてもいえることである。犬山市の有楽苑には,茶人織田有楽の茶室如庵とその付属書院が遺されている。こ-305
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