の付属書院は,京狩野の筆になる障壁画として,かつてその一部が紹介されたことがある。1988年6月20日,所有者の名古屋鉄道株式会社のご厚意により,また名古屋大学文学部美術史研究室の人たちの助)Jを得て,そのすべての障壁画を調査し,写真撮影(城野誠治氏撮影)を行った。その写真原板は大和文華館が保有している。中部義隆氏は,その調査報告を行う中で,如庵付属書院の変遷と,山雪筆といわれる『高士観鴫図襖』を考察した。以上か,『大和文華』82号「狩野山雪特輯」の誌上をかりて,猟島美術財団の研究助成を得ての研究成果の一部を発表した。次に,「京狩野」の特質について,いくつか気付いた点を述べておくことにする。初期の京狩野である,山楽・山雪・永納三代に共通する点は,当時,中国から舶載された唐本(画本,挿絵本)に注目し,江戸狩野派よりもいち早く,絵画制作に取り入れたことは特記される。以後,そのモティーフの集積が京狩野の財産となり,幕末の永岳の時代まで継承されることになる。豊巨秀吉の時から,朱印船の往復などによって,中国(明)との通商が盛んになり,かの地から種々の文物がもたらされ,典籍図書の類も少なからず将来された。そのうち絵入本では,張居正編『帝鑑図説』(万暦元年・1573年刑)が夙く,慶長11年(1606)には豊臣秀頼によって翻刻されたが,山楽はその唐本を絵手本として,誰よりもいち早く「帝鑑図説図」を描いた。山雪も,義父山楽の影評を受けて,寛永9年(1632)に,唐本『聖賢像賛』をもとにして「歴聖大儒像』21幅を制作した。また,万暦28年(1600)刊の唐本『列仙全伝』をもとにして,「馬師皇図」や,「四季耕作図屏風」(東京芸術大学蔵)のうちの人物像を描いている。東京国立博物館の「山水図」双幅のうちの「西湖図」にも万暦年間に出版された挿絵入りの通俗本からモティーフをたくみに取り入れている。同じころ板行された画本『八種画譜』のうちの一つ『古今画譜』からモティーフを得て,前の『四季耕作図屏風』や『夏景山水図』を描き,また妙心寺天球院方丈の障壁画にもそれを応用した。その「山水図床貼付」は『古今画譜』の「小亭幽径図』にヒントを得,また「寒梅図襖』の岩の表現は『古今圃譜』の「漁楽図」に典拠があると考えられる。前述したように『盤谷図』も,この『古今画譜』からいくつかのモティーフを採用して画面構成されているのである。那波活所の『活所遺漿』巻九に,白楽天の詩「対酒」を絵画化するにあたり,『八種画譜』の一つ『(五言)唐詩画譜』のうちの「友人夜訪306-
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