鹿島美術研究 年報第9号
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には,手を差し出す多勢の人々と家畜とが建築モチーフの中に描かれている。最後の図像は,ニネベの王と大臣によって出され,人も家畜も悔い改めること命じた布告(ヨナ書3章7-9節)の内容に言及していると思われる。聖書からの引用節を越えてそれに引き続く内容の異なる文に対応して描かれていることは,この挿絵が挿絵入りのヨナ書を手本として描かれたことを強く示唆するもので,ここにヨナの物語の図像表現上の1つの系譜の存在を考えることができる。布告の内容を表わす図像は「パリの510番」には無いものであり,また,ニネベの町での様子を描いた挿絵にみられるヨナの顔のタイプや,ニネベの人々を開かれた市門の位置に描〈というタイプも,「パリの510番」の挿絵と異なっている。ョナの物語の図像サイクルは,11世紀第3.四半紀に制作された「テオドロスの詩篇本(ロンドン,大英博物館,Cod.Add. 19352)」の中にも,ヨナ書2章3-10節のヨナの祈りを引用した箇所に対する挿絵として描かれている(fol.201り。このサイクルるヨナ,海獣から吐き出されるヨナ,ニネベの町で語るヨナ,枯れたとうごまを嘆くョナと主の語り合いが描かれている。このうち第2番目の図像は「パリの510番」にはないものである。またヨナ書4章に対しては,初期キリスト教時代以来ヨナの物語の図像の焦点であり,「パリの510番」中のとうごまの下で安らぐヨナとは別の図像が描かれている。またヨナは一貰して,白髪でひげをたくわえた老人として表現されている。これらの諸特徴から,「テオドロスの詩篇本」中の図像サイクルは,「パリの510番」のそれとは系譜を異にすると考えられる。9世紀の「クルドフの詩篇本(モスクワ,歴史美術館,Cod.gr. 129)」とアトス山のパントクラトール修道院に保存される詩篇が存在し,「テオドロスの詩篇本」にみられる系譜が,既に9世紀に存在していたことを示唆している。「パリの510番」と同様の図像表現は,アトス山のヴァトペディ修道院に残る12世紀の詩篇本(Cod.760)の中に見出される。挿絵は見開きの2ページ(fols.282v -283りにわたっており,「パリの510番」の第2-5場面と同じ聖書の章節に基づく4図像が揺かれている。擬人像の付加があるが,ョナの吐き出し,ニネベで語るヨナ,とうごまの下で安らくヨナは,「パリの510番」とほぼ同じタイプで描かれている。特にニネベの情景での人物並びに建築モチーフの構成と,とうごまの下のヨナのは5図像から成り,海に投げ込まれるヨナと彼を待ちうける海獣,海獣の腹の中で祈本(Cod.61)には,「テオドロスの詩篇本」にあった海獣の腹の中で祈るヨナの図像ズにおいて,-310

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