鹿島美術研究 年報第9号
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2 Quasi tutta la parte di sottoを巡る解釈la parte di sotto"の解釈の問題がある。「(ジョットは)フラーティ・ミノーリ教団『コンメンターリ』第二書におけるジョット像をこのように理解すれば,同書の記述からジョットに関する新たな知見を得る道が開かれる。そのひとつに,アッシジの聖フランチェスコ聖堂におけるジョットの制作についてギベルティが記す“quasitutta のアッシジの教会で下の殆ど全ての部分quasitutta la parte di sottoを描いた。」(傍線筆者)とギベルティは記しているが,それは,この聖堂上院の下の部分に描かれた「聖フランチェスコ絵伝」ではないか(トエスカ1941,マザー1943,コレッティ1949,サルヴィーニ1952,ニューディ1958,マーリ1953,59, 89,ガブリエリ1981ほか)。あるいは,ギベルティは下院のジョッテスキによる壁画群をジョット作と誤認したのではないか(ルモール1827,リンテレン1912,シュロッサー1912,シレン1917,ヴァイゲルト1925,オフナー1939,スマート1963,71-bis,スタブルバイン1985ほか)。さらには,この句にある「下」sottoとは,上院の,典礼上重要な場所(内陣)から遠い位を示唆し,上院右壁中段のくイサクの画家〉による場面ないしファサード内限の「泉の発見」と「小鳥の説法」がこれに該当するのではないか(この説の前提としてくイサクの画家〉による場面をジョットの作としたミース1960の様式判断があるが,ミース自身はそのような読み方を容認しているわけではない)。解釈はこのように3つの説に分かれるのであるが,「殆ど全て」が意味をなさなくなる第三の説は今除外するとすれば,前2説のどちらかにギベルティの真意があるはずである。ところか,この解釈の問題の背景には「聖フランチェスコ絵伝」がジョット作であるか否かを巡る激しい様式論争があって,双方がそれぞれの立場に引き寄せて『コンメンターリ』を読もうとする傾向は否定し難く,同書のテクストそのものを検討し,先に見たようなギベルティのジョット像に照らして説得力ある解釈を遠くと言う地点にまで至っていないのが,研究史の現状である。しかしそのような状況にあっても,ギベルティの言うsottoを無断でUnterkircheないしchiesadi sottoつまり「下院」と読み代えたルモールとリンテレン,彼らと同じ結論を導くために循環論法に陥ったスマート,また,印象判断による論拠しか提示できないスタブルバインら,第二説を主張するいわゆる<ノン・ジョット派〉の人々が第一の説を無視し得ず,自説の開陳に含みを持たせているのは注目してよい事実である。彼らは,quasitutta la parte di sottoが「聖フランチェスコ絵伝」をさす可能性-316

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