鹿島美術研究 年報第9号
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tutta la parte di sottoは,上院の「聖フランチェスコ絵伝」の「殆ど全て」を意味に,以下の壁画群を差し引いて見よう。マッダレーナ礼拝堂とサン・ニコラ礼拝堂の壁画。ピエトロ・ロレンツェッティの絵を含む交差部と右袖廊(ヴォールト)の壁画。説教坦(身廊左壁)の壁に抽かれた「聖母戴冠」など。そして最後に,右に挙げたステーファノによる今は失われたアプシスの「栄光」の図。今日ジョッテスキに帰されるこれらの壁画はいずれも,スクロヴェニ礼拝堂壁画の特質をよく理解していたギベルティが確実にジョット作ではないと判定し得た作品ばかりではなかったか。そしてこれらを除くと,残る下院の壁画装飾は身廊のヴォールトを飾るオーナメントとナルテックスの壁画ばかリである。このように考えるなら,ギベルティか,ジョットは「下院の殆ど全ての部分」を描いたと判断したとは到底考えられないのである。マッダレーナ礼拝堂の壁画はスクロヴェニ礼拝堂の壁画に最も近い様式を示し,ジョットの筆をここに認める人も少なくないのは事実であるが,これを除外しても解釈に何ら不都合は生じない。これらの事実からすれば,問題の解答はただひとつのみである。ギベルティのquasiすると考える以外になく,マザーの指摘するようにくサンタ・チェチリアの画家〉によるとされる場面は,それから除外される。これは,ジョットの芸術の特質を見抜き,この圃家とジョッテスキらとをはっきり判別し得たギベルティの批評から樽かれた結論であって,『コンメンターリ』第二書のテクストにこれ以上の判断を聞く事はできないか,この結論に立てば,ギベルティはパドヴァの壁圃の構想に近いものを上院の「聖フランチェスコ絵伝」の多くの場面に認めていたと言ってさしつかえない。ともあれ,『コンメンターリ』は初期のジョット文献の中でこの絵伝をジョット作であると明した最初の史料であることに間違いはない。<ノン・ジョット派〉の人々からするギベルティの証言の史料的価値に対する疑念はこれによって払拭されよう。(上田恒夫)-319

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