鹿島美術研究 年報第9号
347/428

⑤ 南蛮美術の一源流たるゴアの踏査について1990年10月末から11月初めにかけてマラッカ・ゴアを踏査する機会を私は得たが,研究者:静岡県立美術館主任学芸員とりわけ日本の南蛮美術の研究界にその実態が殆ど紹介されていないゴアにおいて,当地の修道院や教会に現存する絵画群に接するにあたり深甚な衝撃を受けた。それは日本の初期洋風面と極めて近い関係にあるものであり,その図像やそのテクニックに注目する時,とりわけアジア人が描いたと考えられる作品と日本の初期洋風画との十全な比較検証は,南蛮美術を考えるにあたって今後重要な鍵となっていくものであると考える。小生が質財団へ財助金を申請した南蛮漆器の研究についても同様であり,ゴアヘのこの度の踏査においてさまざまな場所で知見したゴアの木彫技術や文様,ヒンドゥーとキリスト教文化が交じった主閣など岡田譲氏の指摘した南蛮漆器とインド・ポルトガル美術様式との近接は実に当然のことと考えられる環境であった。残念ながら運搬可能な過去の質重な工芸品は,かつての首都ゴアが伝染病で放棄され,また植民地解放のためインド軍に攻め込んで時点でもはやゴアの地には無かったとみるべきなのであろう,日本の南蛮漆器の源流と目される賽料には今回は行きあたらなかったが,ただその末裔ともいうべき書見台かいまなお教会に存していることをこの目で確かめることができたことは報告しておきたい。ゴアは,アジア航路を発見者し,161仕紀香料貿易の覇者となったポルトガルの東洋経営の心臓部であったし,また日本への貿易船がほぼ毎年出発したところでもあった。日本との関係は我々が考えている実際の距離よりずっと近いものであったと,さまざまな事象から云わざるを得ない。残念ながら教会の高いところに描かれた壁画,また高いところに掲げられた絵画を,それだけの賽料が残っているとはとても考えていなかった我々のあおり修正なしのカメラでは学術に耐え得る賢料としての写真をこの度の踏査では得ることはできなかった。したがって初期洋風画と現地の絵画との厳密な比較検証は今回は不可能であるが,このゴアについて,当地に残されているものを紹介し,かつ当地で知見し得たものの概要を報告することは,以降必ず踏査されなければならないゴアヘの,共有認識にも325 越智裕二郎(平成2年度助成)

元のページ  ../index.html#347

このブックを見る