鹿島美術研究 年報第9号
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あったと考えられる西洋人圃家とおぱしき作品などを見ることかできる。この教会を建てることに当時のゴアは反対であったにも関わらずイエズス会は1585年に完成させたか,1663年出火によリ一部焼失,1783年に現在の教会を再建した。ファサードは普通のルネサンス様であり,上部にはイエズス会たるIHSの標章がある(写しい木彫の説教坦がある。主祭勘にはイグナチウス・ロヨラ像かあり,右の汎廊に聖フランシスコ・シャヴィエの遣骸をおさめたからシャヴィエの姿を見ることかできる。これたもので,フィレンツェの打名なジョバンニ・バティスタ・フォッギーニか10年の月をかけてつくり,1698年ゴアに送られ組み立てられたものである。この棺を見るための拝観者はひきもきらない。この棺を収める隈には聖フランシスコ・シャヴィエの生涯かイタリア派の圃家によリ油彩lllli8枚にfl'1]かれている。その中には日本で山口の王と謁見するシャヴィエもある。なお聖具室(Sacristy)にはインド・ポルトガル様武のすばらしい木彫家具が保管,使川されており,そこに付けられているイエズス会の椋咽は思わず南蛮漆器を想像させる。司教座教会と道をへだてて徒歩5分,椰子の林を抜けて歩いていくとカエターノ教会の壮屁なファサードが見える。両脇に塔かあり,いずれにも鈍楼かある。この教会はローマの獣ペテロ教会をモデルとしてつくられておリ,完成は171It紀の半ばである。ギリシャプランのもと,.il_:.面に壮麗なバロックの祭屁,["OurLady of Divine Providence" 聖家族,聖クレアの祭恥がある。また柱にはローマより持ちきたったと思われる油彩画も掛かっている。聖なる丘へ向う途中にある3階建ての大きな建物がサンタ・モニカの女子修道院であり,現在も活発に活動している。当教会および修道院の建設は1606年にはじまり,な棺かあり,その棺に開けられた窓トスカナ公コスマスIIIより贈らされたものである。3. The Professed House and Basilica of Born Jesus ('iJ:]図6)7)。教会内部についてはラテン・クロスの単純な形で奥行55.77m,幅16.76111,さ18.59111,入って左側に木彫彩色のフランシスコ・シャヴィエ像がある。また素晴ら4. The Church of St. Cajetan 8)かあるはか,右に聖カジュタン,堕アグネス,1履ヨハネ,左に敬1紀の聖母:,5. The Church and Convent of St. Monica 1627年に完成を見たか‘,火災によって1636年破壊,-331

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