鹿島美術研究 年報第9号
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7. Pilar Monastery 8. Archaeological Museum in Panaji 瞑想室や地下の食堂の天井にはびっしりと聖人や殉教者が描かれており(写真9)'なかには日本で刷られた銅板画と全く同一の聖家族図などもあり(写真10),日本への図像伝播という観点からも興味深い。現在当修道院ではこの貴重な資料の残る壁の塗り直し作業を進めつつあり,それが進展すればこの貴重な絵画は永遠に失われてしまう。一刻も早い調査と保存処置を施す必要があろう。かつてのヒンドゥ王国の宮殿跡に建てられたという当修道院はズワーリ河を見渡せる,見晴らしのよい丘の上にある。ここにはかつてのヒンドゥのささやかな資料をめたミュージアムもあり,また教会の2階にはこの修道院ができる以前の絵を預っているという,日本の初期洋風画に匹敵すべき絵画資料,すなわち4枚の福音書著者を描いたものやアジア人の修道士を描いたものが存していた。また倉庫からは少し前まで使っていたという書見台(写真11)を見せてもらえたが(写真12,13),それは確かにインド・ポルトガル様式の流れをくむものであり,日本の南蛮漆器と連なっていくものであることを確認した。パナジの市街にある,小さなスペースの博物館であり,建物の2階部分しかないが,ここに2枚の16,7世紀の銅版油彩画2点を所蔵する(写真14,15)。日本で南蛮美術と呼んでいるところの,ポルトガルやイエズス会,その他南方からの文化情報と日本文化が複雑に重なって生みだされた17世紀初頭の日本の事象を鑑みる時,それは極めて世界的な事象と云わざるを得ない。それを実証していくために,このゴアは重要な鍵を握っているところである。再調査の決意をこめて,とりあえず今回の御報告とするものである。本校を終えるにあたり,ゴアに同行しピラー修道院をはじめ,さまざまな教会,修道院へ取り次いでくださいました聖パウロ会司祭,夫津木昇神父に厚く御礼を申しあげます。またいろいろと御教示下さいました上智大学神吉敬三教授,固立歴史民俗博物館坂本満教授,そして同旅行に際し,何かと御助力を頂いた博報堂高嶋哲夫氏に記して謝意を表します。-332-

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