研究目的の概要一美術受容の一例として一研究者:石橋美術館主任学芸員橋富博日本近代美術における外国美術受容の様相については,これまでフランス美術を中心に,それと対比するかたちで語られてきている。しかし青木繁の例でもわかるように,十九世紀後半のイギリス美術についても看過できない問題を含んでいると考える。従来イギリス美術の受容の形態については,彼此の美術の図像的類似性をもとめるだけで,イギリス美術のもつ絵画性,思想性については充分に論じられてきたとは言えない。そこで本研究では,日本近代美術におけるイギリス美術の影開について,十几世紀イギリス美術の思想的背景ともいうべきジョン・ラスキンの日本への紹介を実態をとおして明らかにしようとするものである。これまで申請者か調べたところによれば,わが国最初のラスキン紹介の文は明治十八年に種海鋤夫が『大日本美術新報』に記した「美術ノ奨励ヲ論ス」であり,翌年には坪内雄蔵(逍遥)も「美とは何そや」のなかで筒単にではあるが言及しており,やがて明治二十年代後半,岩村透らによって本格的に紹介されるようになるのである。このように,日本近代洋画がいまだ充分に展開をみない時期に,十九世紀イギリスを代表するかたちでラスキンが紹介されている。これは日本近代美術を考えるうえで重要な側面だと思う。そこで本研究ではまず,ひろく文献賽料にみられるイギリス美術紹介の記事について調査し,そのなかでとくにラスキンかどのように紹介され,理解されていったかを明らかにしていきたい。それと同時に,ラスキンの美術に対する考え方についても,ラスキンの自筆およびその関連文献を参考にしながら考えていきたい。さらに思想家,文筆家としてのラスキンのもうひとつの側面である実作者としてのラスキンにも注目し,その作品についても研究をしたい。こうすることで,日本近代美術における外国美術受容の一例としてのイギリス美術受容の実態について,図像学にもとづき,理論的に明らかになると考える。① 日本近代美術とジョン・ラスキン357
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