鹿島美術研究 年報第9号
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④ 雪村作品の編年について付,色絵で加飾されるのである。これまでこうした西洋絵画の影聾については,とくに美術史的に考察,検討がなされた例が少なく,好事家の蒐集にまかせるままになっていた。絵画資料における文人趣味,あるいは西洋文化の受容については研究が多いが,こと工芸品にみられる西洋絵画の受容については,その資料不足と年代特定,モチーフの受容過程の不明などから矛頁極的に行われた研究か少なく,美術史的成果はあがっていない。陶磁器,漆工品の中に見られる国内向けの製品と,ヨーロッパからの注文品とに分け,西洋絵画の受容の状況,そして,それがどのように変容し,国内に浸透していったのかを資料にもとづいて検証していくことは意義深く,これまでの欠を補うことになるものと考える。江戸時代に日本に注文で西洋絵画の銅版画,挿図,書物が示されることも多々あり,そうした銅版画のモチーフが陶工,漆工の手によって器面に写され出島から輸出されることがあった。それらの贅料を集め,日本のエ匠が見た西洋絵画を明らかにしたい。また,そうした西洋絵画(注文下絵として)の他に,西洋の銅版転写技法によるうつわ類か江戸後期の日本にもたらされており,有田や京都を中心とした窯業に刺激を与えた。中でと「京阿蘭陀」と呼ばれる陶器は徳川美術館の作例に見られるとおり,オランダ製と誤認するほどの西洋化を示しており,これが近世陶磁の異色作であるばかりでなく,日本の工芸にみる西洋文化受容という面でも検討に値する査料となっている。具体例に即して調査を進めたい。研究者:茨城県立歴史館学芸部主任研究員小川知雪村周継については,戦前の福井利吉郎氏の『雪村新論』以来さまざまな研究が行われてきた。私も1989年度の当美術財団の研究助成金により,常陸における雪村の基盤と背景,またその画論「説門弟資云」を廻る問題についてささやかな報告を試みた。しかしながら雪村については,未だ未解明の部分が多い。とくに作品が比較的多く残っているにもかかわらず,これらの編年は充分に検討されていない。雪村の個人様式としての幅があまりに広いこと,また他の作家の作品も混入している可能性があることなどが,作品の編年を困難にしている理由と思われる。359-...

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