⑥ 藤原貞幹「集古図」の研究18世紀後期から19世紀前期にかけての半世紀は歴史や考古といった学芸諸学に驚く研究者:京都市立芸術大学芸術資料館藤原貞幹は江戸時代後期を代表する国学者の一人である。その伝記及び業績については,吉沢義則氏や川瀬一馬氏などによって紹介されているものの,一般には必ずしも正当な評価を得ているとは言い難い。ほど多彩な収穫を見せる時代である。京都にあって歴史学・考証学の分野に学識の高さを知られたのは藤原貞幹であった。その存在は東都の狩谷恢斎にも比すべき存在であったといえる。彼は木村兼段堂,伊勢貞丈,裏松固禅といった学芸諸家との交流の中で,極めて大きな視野をもって見識を示した町人学者であった。そして,経験と証に基づく独自の史観によって多数の著述を遣しており,今日よく知られたものは『好古小録』『好古日録』『国学備忘』『国朝書目』『古瓦譜』などがある。しかし,貞幹のライフワークとして著明でありながら,その内容がいまだ明確にされていないものがある。それが流布本二十八巻の『集古図』である。『集古図』の内容については,川崎千虎氏によって早くからアプローチが試みられているか,幾つか追された写本の書写系統が不明であり,善本を見出すことの必要が感じられていた。貞幹自身党政八年に出版届の草稿を作成しているところから刊行を定していたことが分るか,実現しなかった。貞幹の集成図の常として,増補と再編集を繰り返しており,定本といえるものが不明確であることもこの書物の内容を明らかにすることを難しくしている。『集古図』か松平定信の『集古十種』にも比肩すべき内容を持つことは清野謙次氏によって指摘されているとおりで,出土資料と伝世資料を含めて,集成図としては当時最も膨大なものの一つであった。『集古十種』が膨大ながら美術工芸に偏重した項目を立てたのに対し,『集古図』は多様な遺物を網羅し,歴史資料としての大系化を試みたものである。これまで考古学の分野にのみ利用されて,歴史や美術の分野からの接触は決して多くない。しかし,貞幹が『好古小録』『好古日録』を著述する背景にあったのがこの集成図であったことを考えるとき,その価値は特定の分野に限られるべきものではなく,広く共有される史料として活用の道を開かなければならない。これはまた貞幹その人を正しく評価する道でもある。松尾芳樹-361
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