鹿島美術研究 年報第9号
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⑩ ドイツの木彫祭壇における絵画と彫刻の関係およびその推移理解か行われており,研究対象のもっとも中心的な存在たる祖師についての認識が,祖師在世の時代から教団が成立し維持されるようになる時代に至れば,次第に教団に都合の良いものに変化変容して行ったことが指摘されている。いわば現実の等身大の祖師像から粉飾された祖師像へと変遷し,別の祖師観が成立するのである。本研究は,まず祖師に関する根本資料を調査研究し,より正確な祖師像を理解しようと努めるほか,さらには教団の成立による祖師観の変化を,現存する祖師に身近な遺品および教団に関する遺品を調査研究することにより明らかにしようとするものである。すなわち換言すれば,各分野が協力して祖師および祖師に関する遺品の基礎資料を収集・調査研究し,その歴史的背景に祖師観の変化があったことを念頭におきながら,美術史的な作品の変遷・展開について明らかにしようとするものである。本研究は,鎌倉時代祖師について宗教史および美術史の双方の学会に新たな方法と視点を提供する意義ある研究になると信ずる。研究者:京都外国語大学助教授岡部由紀子今回の研究は,ゴシックから近世にかけての転換期における彫刻と絵画の関係の変化を視野のうちにおさめつつ行いたい。中央部分と両翼部分から成る祭壇は,かなりの普遍性をもって現れるが,イタリアではもっばら絵画のみで構成され,彫刻との共存という事例はない。他方ネーデルラントでは,15世紀以降絵画のみによるトリプティクと並行して,ドイツと同じ彫刻と絵画の共存した祭壊も流行している。しかし彫刻と絵画の序列関係,即ち聖俗の対比は,ネーデルラントの例において,ドイツの場合ほど明確ではない。ドイツの木彫祭壇の特殊な形式については,祭壇をめぐって行われる教会の儀式・典礼の内容とのかかわりを十分に考慮しなければならないが,少くとも彫刻と絵画の関係に焦点を絞って考えれば,伝統的な彫刻重視の立場に依りつつ,パースペクティブに象徴される新しい表現内容及び表現分野の担い手としての絵画を総合的に取りこんだ形式だということができる。その際彫刻はあくまでも優位に立ち,彫刻の納められる厨子は神秘の空間としての性格を与えられる。特に二組の翼を持つ大祭檀の場合には,外から順に開かれて中心の厨子に至るプロセスが俗よりヘ高まる価値を感覚的に強く印象付ける。ドイツの例は,イタリアと比べては勿論,-364

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