鹿島美術研究 年報第9号
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⑫ 俵屋宗達の造形思想感覚があふれている。そういった特異な光彩を放つ作品の成立や画風の展開といった,田善の個人様式の問題は,もっとも解明が望まれるところであろう。にもかかわらず,これまでのところ,この点で研究が意外に進んでいないのは,制作年次の明らかな作例が殆どないことのほかに,現在,田善の作として取り上げられるのか,様式的に完成された一部の作例に限られていて,それ以外の田善の款印を有する作品についての検討が行われていないことが大きい。本調査研究では,こうした問題意識に立って,田善の作品を総合的に調査する。これによって代表的様式以外の作例も加えて,あらためて基礎的検討を行い,田善の全画業の把握をめざす。作品の編年的研究や,画風の変遷,特質を考えるための基盤となるような,寇義深い研究としたい。一法橋叙位後の作品一研究者:石川県立美術館学芸員村瀬博春俵屋宗達の造形に関する論考の出発点となるのは,宗達は,千少庵を招く程の茶の湯の嗜みがあったという事実と,宗達は特定の流派に属する圃人ではなく,むしろ絵画に関しては素人であったと考えられる点である。それゆえ,宗達が自由な怠志により描いたと思われる法橋叙位後の作品には,少なくとも茶の湯の思想が反映していると考えても大過はあるまい。例えば,「源氏物語関屋・澪標図」は,「北野天神縁起絵巻」中の管原道真をはじめ,すべて源氏絵とは関わりのない出典による形象で構成されている。このような滋をつく転用の妙は,荼の湯における「作意」や「エみ」の思想に通ずるものであり,かかる作品の存在は,宗達は他の作品においても,その見てくれの形象とは別の何かを工み,作謡しているという可能性を示唆するものである。そこで,宗達自身の信仰及び知的環境への顧慮を持ちつつ,宗達にとって作画とは,いかなる意義を持つ行為であったのかという根本問題を論考する一方で,個々の作品について,先述の可能性を検証することは,従来の「琳派」的視点では捉えることができなかった,宗達芸術の新たな側面を開示すると同時に,情緒的次元でのみ指摘さ-373-

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