⑪ 台密系両部曼荼羅の研究⑫ 近世における瀬戸。美濃陶の意匠のれん,壁掛,卓布,風呂敷,団扇,扇子,緞張,ステンドグラスデザイン,本の装禎,私家本の作成,燐票にみられる型絵染作品,板絵,ガラス絵,肉筆画とすべてが日々の生活のために作られた工芸である。しかしそれらは美術作品として独立して存在しうる。作品は絵画や他の染色技法では表現できない,型絵染めだからこその造形である。彼の独特な表現を形成する技法についても考察を進める。第三に,彼には全世界の工芸品の収集活動という「もう一つの創造」がある。作品制作と収集が同時併行して行われていたことの意義,また,制作の範囲が多岐にわたることの意味を考えることは,現代の工芸家,芸術家の歩みへの示唆になるとの認識のもとに芹沢の全体像を可能な限り提供することを目的とする。研究者:早稲田大学文学部助手松原智美東密系両部曼荼羅の受容と歴史的展開は,従来の研究によってかなり明らかにされており,少数の例外を除いて,空海請来本の図様が比較的忠実に継承されたことが確認されている。一方,台密系と認められている遣品の図様は一様ではなく,この多様性が,東密系における空海請本来のような,台密系の正系の祖本を求める際の障碍ともなっている。こうした台密系両部曼荼羅の多様性の要因は,主として転写系統や阿闇梨独自の意楽(創意)にあるものと推察されるが,本研究ではその根源を追求し,それが台密教団のなかで展開してゆく様相を明らかにすることを目的としている。台密系両部曼荼羅に関する研究は,遺品の数が少ないという制約もあり,いまだ充分には行われていない。しかし,台密においても両部曼荼羅が修法空間に懸用される重要な絵画であったことはいうまでもなく,この分野での研究の発展は,密教美術史のうえで,少なからぬ価値をもつものと考える。研究者:名古屋市博物館学芸員野場喜子瀬戸・美濃陶の歴史は古く,平安時代の灰釉陶器に始まるが,それらは周時代の中国製陶磁器や金属器の形を写したものが多いし,その後の鎌倉時代から室町時代にか-380
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