⑯ J. F.ミレーが画風形成期に影響を受けた作品の調査研究文政期を含む江戸時代後期に入ってからである。この時期には大雅に直接学んだ画家も多く世に輩出したが,大雅の門系と言った場合,様式の忠実な師査相承という意味では1つの流派としての特色に乏しいためか,これまで門下の画業については詳しく論じられることはなかったようである。これは,大雅の光輝か大きすぎたために継承者としての門下の画業が見失われがちであったこと,また大雅自身がいわゆる南宗様式のみにとらわれてその枠の中での制作に胴跨するということがなかったために様式・技術的画系として捉えにくかったことなどがその要因と言えよう。しかし,18世紀末以降の日本南画の隆盛と関東への波及を鑑みる時,大雅没後,関西画坦で活躍した門下の画業を明らかにし,それに歴史的な位置づけを与えることは,江戸時代中期から後期への日本南画の流れを知る上で,極めて重要なことではないかと思われる。そこで,本研究においては,文化・文政期の関西南画坦を代表する画家として,紀少'‘|出身の野呂介石の画業に注目した。彼は大雅門下の中でも祉に最も昭伝せられ,命して作品数が多く,しかも,師大雅の名声が没後全国的に高まったこともあり,頼山陽をはじめとする多くの学者・文人がその面を買揚したことで知られる画家である。その現存作品を考察し大雅画風との厳密な影靱関係を分析した上で様式的特色を見出すと同時に,文献史料の内容考察から彼の学画の経路や作画態度,芸術思想,後抵の彼に対する評価等を理解することは,以下のことを明らかにしうる1つの糸口となるように思われる。すなわち,①師大雅の圃風がどのようなかたちで後世に伝えられたか。②介石が如何なる方向性の画を志向していたか。③介石の画業が,当時の関西南画恥こ如何なる影翠漿を及ぼしたか。④江戸時代中期から後期への日本南圃の流れの中で,介石の画業がどのように位置づけられるか。以上の4点が,本研究かめざす目的である。以上のような構想を以て本研究を進めたいと考える。ートマ・アンリ美術館及びルーブル美術館所蔵作品を中心に一研究者:山梨県立美術館学芸員應野吉とで,19世紀フランス絵画史のみならず近代絵画史上,重要な位置を有する。それはJ.F.ミレーは,写実主義の画家として,とりわけ農民の労働する姿を拙き続けたこ-383
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