鹿島美術研究 年報第9号
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⑱ 相阿弥の研究それによって説話表現の背景として単なる区画として個別的に描かれていた山岳が,大画面構成の説話表現の舞台設定として有機的な繋かりを持つような重要な役割を果たすに至るまでの見通しを得るであろう。北魏から唐代前期までのその発展は4段階に分類することができ,大画面構成の山岳景観の出現は隋代にその萌芽を見出すことができる。陪代は短い時代であるか,唐代に盛行する法華経などの変相図の先駆けも見られ,維摩経の中でも山岳表現か大きく扱われながら発展する時代でもある。今回の調査研究によって,分析するデータをさらに相み重ね,山岳表現が大きく変化する時期をより正確にとらえ,実際の壁画でそれを補強,展開することによって,敦燎壁画の北魏から唐代の山岳表現が担うnarrativelandscapeとしての物質を時代を追って明確に把握するのが当面の課題であり,本研究の目的である。'研究者:東京国立文化財研究所研究員1)相阿弥関係の基礎データの収集と公表室町時代の画家史料編簗のモデルとして,個々の画家についての文献・史料・作品を網羅的に収艇するとともに研究状況をまとめた「東洋美術総目録」の形式かある。として渡辺ー氏によって行われたこの作業は,現在でも室町時代画家研究の陥礎文献となっている。ただし,相阿弥については,その室町絵圃史・文化史上の重要性にもかかわらず,文献・史料・作品を総合する作業は未だ行われていない。本研究では,相阿弥関係の基礎データを可能な限り綱羅的に収集し「東洋美術総目録」の一・部として公刊する。2)相阿弥画の様式的研究相阿弥画の様式的分析は「牧裕」と「狩野派」という室町絵画史上二つの大きな問題に関係する。一般的な阿弥派理解の基礎となっている「牧裕様」の作品は,日本における牧裕イメージの形式に大きな役割を果たした。また,楷体の山水画は,狩野派と非常に強い親近関係をもつ。本研究では,袢啓との関係を含めて,相阿弥の画風を当時の京都における絵画様式のひとつの源泉として捉えなおし,「阿弥派」「狩野派」という従来の様式分類の枠組みを再検討する。3)相阿弥の室町文化史上の位置づけ島尾新-385-

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