鹿島美術研究 年報第9号
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ど多くの神話主題が一つの作品に集約されて表わされた例は,現存する遺品から判断する限り,かつて見られず,以後も陶器画の領域では例がない。むしろ,多数の神話主題を一つの作品に集約して装飾するやり方は,紀元前6世紀半ば以降盛んになる神殿彫刻の領域において展開するといえるか,この領域での主題の選択,図像タイプの形成等の問題に「フランソワの甕」は多くの示唆を与えてくれるように思える。「フランソワの甕」については,19世紀半ばに発見されて以来多くの議論,研究がなされてきたか,1970年代の大規模な修復,再調査とともに,細部写真を豊富に収録した報告書が出され,研究者の注目を新たに呼び覚ましている。従来,どちらかというと様式の歴史,分析に重点を置いたギリシア美術史の領域でも,近年では“物語(テキスト)とイメージ”の関係を探る研究が活況を呈し始めているか,そうした観点から「フランソワの甕」を洗い面し,ギリシアの物語表現形式の特質は何かという問題を考察することは,極めて意義が大きいと考える。研究者:岡山大学教養部助教授井上明彦本研究は,私か静岡県立美術館に在藉中に行っていたグリス作品の研究をより発展させようとするものである。この研究は私の岡山大学への移籍に伴い,一時中断を余儀なくされたか,その後ようやく研究賽料もそろいはじめ,ここに構想をたて直して研究助成を申請するものである。研究の出発点となったグリスの<果物入れ>は,グリス後期の最も創造的な「建築的時代」(カーンワイラー),すなわち,彼独自の浪繹的な制作方法と美学が確立されていく1916年から19年に至る時期においても,とくに注目すべき節目となった1918年3月の日付をもっている。1915年にパピエ・コレから離れて以後,グリスは具体的対象を一定の造形的パターンに還元する一方,明暗の分節線と形態の規定線,圃面の構造線を巧みに重ね,あるいはずらせながら,画面全体の幾何学的構造と内部の各イメージが相互的に規定されあった統一的秩序の形成に向かう。本研究ではグリスのこの「総合化システム」とも呼びうるものの形成過程を,イコノロジーや色彩,構図法,伝統や同時代芸術との関連といった諸水準において詳細にあとづけ,先の<果物入れ>の正確な位置づけをはかると共に,次大戦後の美学的・杜会的文脈の中で,グリス芸術の意味を捉え直したいと考える。③ グリスのキュビズム1915■1919 391-

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