2期留学期を考察したが,前述のふたつの回顧展にはローランス作品は展示されなかに貼付したもの(参考図版7)がある。そこには「千九百六年(明治三十九年)作ロランス先生ノ像佛国留学中ノルマンデーイポールノローランス先生別荘二於テ画ク鹿子木孟郎」と墨書されている。なお第2期留学中の3点の作品写真も残されているが,いずれもこの「ローランス先生ノ像」と同じ台紙に貼付ざれており(参考図版デミー・ジュリアンで入賞した作品かと思われる。この時期のアカデミー・ジュリアン入賞作品については高階秀爾氏の論考「アカデミー・ジュリアンと日本人留学生」(『美術史論叢』7,1991年東京大学)に詳しいが,同論考で高階氏が示した「資料ミー」部門入賞作は参考図版8,また同月「構図下絵」部門入質作は参考図版10,「1906れにしても鹿子木はこの第2期留学で同アカデミーにおいて優秀な成績を修め1906年年のサロン入賞作である。1908年のサロン・カタログ(参考図版11)には目録番号945番に《イポールの浜》,《漁夫の家》が掲載されている(参考図版12)。筆者はすでに「アカデミー・ジュリアンの日本人画家西洋:国際シンポジウム,1988年』明治美術学会編,1992年,中央公論美術出版)で鹿子木孟郎の第1期留学期(1900年〜1904年)について,「鹿子木孟郎とルネ・メナーグ,1989年)で第3期留学期(1916年〜1918年),「イポールの鹿子木孟郎--f乍品《ノルマンディーの浜》を巡って」(『没後50年鹿子木孟郎展』カタログ,1990年)で第った。遺品には写真等,関係資料がいくつか見い出され,それらは鹿子木孟郎のみならずフランス第3共和政時代の最後の歴史画家といわれたジャン=ポール・ローランスに関する貴重な資料にもなっている。今後鹿子木孟郎調査は画集編纂の一環として,これらローランス関係資料の調査と鹿子木孟郎の「欧州みやげ」つまり彼の写生帳類に焦点が当てられると思われる。以下にその一端により得られた関連年譜を記し,この調査報告にかえたい。なお鹿子木孟郎の年譜は,第1期留学期に限った。ローランスの年譜は以前筆者も参画した『日本近代洋画の巨匠とフランス』展(三重県立美術画学生コロニーについて」(『日本近代美術と8 ■10)台紙下中央には「PHOTOGRAPHIEARTISTIQUE IMBERT 17, Rue Vavin, 17 Pres du Luxembourg PARIS」と印刷されている。この3点は恐らくアカ1 月例コンクール成績ならびに講評」にある作品で「1906年10月」の「男性アカデ年11月」の「女性アカデミー」部門入賞作は参考図版9の作品ではなかろうか。いずと07年夏にはイポールのローランスの別荘で制作に励んだ。その収穫が1907年と1908)レ~素描にみる)毘子木の主題・技法の展開」(『鹿子木孟郎:水彩・素描展』カタロ-36
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