2月28日ワシントンに行く(吉田,中川,丸山,鹿子木)く7〉。鹿子木孟郎(1874-1941)※なお,〈〉内は,典拠した文献(後述)番号十三日岡山出発満ーケ年の当日」との記述)。国四郎,丸山健作(晩i!閲),腹子木孟郎の水彩圃の展覧会予告が掲載される。日まで)。i:I}品点数は,『ボストン・グロープ]紙によると285点(6名)。主に日本風屎の水彩圃を制作〈7〉。1月6日吉田,丸山,中川,河合はボストンからプロビデンスを訪問(鹿子木,満谷は残る)<7〉。1月8日プロビデンスで鹿子木らの水彩圃展が開催される。鹿子木は満谷と同地に赴くく7〉。1月9日プロビデンスのスクール・オブ・デザインを見学し,ボストンに帰る(鹿子木,丸山,満谷)〈7〉。1月21日プロビデンスのアート・クラブでの展覧会の撤収をする<7〉。1月24日(ボストン)美術館でコロー,ミレーを観る〈7〉。2月9日ボストン・アート・クラブで)此子木らは水彩圃の展覧会を開催している(■16日頃まで)<7〉。2月18日(ポストン)美術館で模写(■19日)〈7〉。3月1日「コスモスクラブ」で展覧会を観る。日本公使館を訪問。圃家「ミッサー氏」第1期滞欧年譜(1900-1904)1900年(明治33/26歳)10月13日岡山を出発し,米国に向かう<1〉(1901年10月13日パリ,母・妻宛「十月11月中旬ボストン着く3〉。12月2日『ボストン・サンデー・グローブ』紙に吉田博,中川八郎,河合新蔵,満谷12月5日ボストン・アート・クラブで崩子木らの水彩圃展が開催される(■12月1512月17日ボストン・アート・クラブを訪れる(18日と19日も)く7〉。12月19日この頃から翌年にかけて,日本から持参した下図や友人の作品をもとに,12月20日この頃,「ヲリバー氏」なる人物に英語を督う〈7〉。12月31日「ステュヂラン・ハトウエー女史」の夜会に出席く7〉。1901年(明治34/27歳)39 -
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