せんずい② 近世初期における金碧山水図屏風の展開1 山杉図屏風六曲一双金地着色禅林寺2 山桜図屏風六曲一隻金地着色個人蔵等後(長谷川宗宅)印研究者:大阪大学文学部助手近世初期に描かれた金地培色の屏風の主題は花鳥,花木,風俗,走獣,さらに歌枕ともなっているような名所の風景や,洛中洛外図に代表される都市の景観などきわめて多岐にわたる。しかし,なぜか単純に山水図と呼びうる屏風はそれほど多くはない。この山水図の不振という現象は,山水,いいかえれば風景を直視し,それを主題として描くという行為が,さほど当り前の行為ではなかったことを物語っている。本研究では,山水を主題とし,金や銀を多用する培色の屏風に焦点を当てて,その山水表現の特質と展開をとらえることを試みた。その比較的早い時期の作例としては,金剛寺に所蔵される日月山水図屏風を挙げることができよう。寺伝では潅頂会の山水屏風として用いられたものであったという。しかし,先行する山水屏風が人物や建物,あるいは寺の景観を含むものであったのに対し,山と海の自然景観だけで図様が組み立てられ,一羽の小烏すらいないこの屏風の図様は,潅頂会の屏風として文献に記録されている山水屏風という名を字義通りに解釈した結果生み出されたものかもしれない。右隻の釣鐘形の山や雪の辿山など,すでに指摘されているように山王宮曼陀羅の山々に通ずるものがあるものの,山のシルエットが幻想的なまでに強調され,平面的,装飾的な圃面になっている。同様の山の描写を,出光美術館の四季花木図屏風左隻の遠山や東京国立博物館所蔵の日月図肝風(日図)にも指摘することができ,数は少ないながら,室町時代の屏風の山水表現にある種の描法が定済し,それか金剛寺本に継承されていたことが推察できる。その意味で,近世初期の金地着色の山水図屏風に先行する作例と位置づけることかできる。しかし,その表現をさらに展開させた作例を見いだすことはできず,孤立した特な作例というほかはない。それに対して,長谷川派を中心とする漢圃系絵師によって描かれている金地着色の山水図屏風は,複数の作例が残されており,相互の関連性を指摘できる点できわめて興味深い。そこで,それらを今回の研究,調査の対象としてとりあげた。具体的な作例は以下の通りである(名称は通称に従って表記する)。-49 泉万里
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