杉図に倣っているが,縁が変則的に波うつ厚みのある金雲は,宗宅の作でおなじく後印をもつ李白・陶淵明図屏風(北野天満宮所蔵)および萩図屏風(南禅寺所蔵)のものの特徴をよ〈伝えている。とくに李白・陶淵明図では金雲の縁が金泥で義ませてあり,形,金泥の縁どりの2点で山桜図屏風の金雲と近い。さらにこのような山水図を宗宅が描いていたことを示唆する資料として,探幽縮図(京都国立博物館所蔵)中の屏風の縮図を挙げたい。山杉図と同じようになだらかな稜線に樹林を配し,建造物などを拙かない一双屏風の地取りのかたわらに,探幽は朱色で等後印を大きく写し,長谷川筆と記している。以上の事から,宗宅が2山桜図屏風のような山水図屏風を描いていたことが推測される。しかし,全体の構成や樹木にみられる弱々しさから判断して,この屏風が宗宅の手になるものとはいいがたい。おそらく宗宅の山桜図屏風を原本として,その印影も含めて写した作例とみなすのが妥当であろう。次の3,4, 5の屏風には,山水図として洗練された域に達していた山杉図の図様が大胆に展開してゆく様相をみることかできる。進められているのだか,画而には叙惜的な雰囲気がただよい親しみやすい作例となっている。いずれも筆者は不明だか‘,4の大坂城天守閣博物館の山桜図屏風は,豊臣秀頼自筆と伝えられる43枚の和歌色紙を貼るための屏風としてあつらえられたもので,(現智柏院)障壁圃以米の殷臣家と長谷川派の関係を物語るものである。5は4とほぼ同図様だが色紙は貼付されていない。3は一見して明らかなように山杉図の木立を近接して捉えた図様となっている。しかし,山の稜線を図様に組み込み,左隻では失敗に終わっているとはいうものの,山の重なりを描こうとした部分もあり,樹木だけをいかにも洒脱に一列に並べる妙成寺所蔵の長谷川等脊(筵永13年没)の松杉棋図屏風などよりも山杉図を机述しようとする滋識が濃厚である。そしてこの3と4,5の屏風に共通して指摘できることは,妙蓮寺障壁画との作風の近似である。3にみる無造作な山肌の賦彩や,4, 5の正面向きの星型のような桜の花の形,はそばそとした墨線で輪郭がとられている幹などにきわめて近い感党を認めることができよう。さらに6の屏風では妙蓮寺障壁圃と山杉図の継承作例との密接な関係がいっそうあらわになる。残念なことに現所在は不明で,モノクロの写真から図様を窺うことしかできないが,左隻に山杉図を,右隻に桜を描くもので,右隻の桜は枝を不自然にたわでいえば,図様の単純化が推し-51
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