鹿島美術研究 年報第9号
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•埼玉③ 宝冠阿弥陀如来像の研究ーその展開一•和歌山那智経塚出土像二艦(東博蔵及び熊野那智大杜蔵)•新潟•富山•埼玉も11■12世紀に限られていること等が指摘されている(1987年『特別展金銅仏』東研究者:奈良国立博物館主任研究官井上一稔はじめに宝冠阿弥陀如来像の展開には,陀如来観法の本尊としての紅跛璃阿弥陀如来像の展開が既に説かれている。本稿では,これらとは別な展開に注目して,宝冠阿弥陀如来像から判明して来る意外な阿弥陀信仰の一面を照し出してみたい。宝冠阿弥陀如来像の展開を考察するにあたって,まず平安時代後期の小金銅仏で,経塚や古墳から発見される宝冠阿弥陀如来三諄像について考えてみたい。これらの小金銅仏は,10■11世紀の木彫宝冠阿弥陀仏像に続いて現れ,その伝米や三尊構成をとることで木彫像とは違った面のあることが予測されるからである。さてこの種の小金銅仏には,現在つぎの様な作例が知られている。・兵庫これらの作例については,通例の宝冠阿弥陀像が通肩に衣を着すのとは異なり偏担右肩に着すこと,現在脇侍を残すのは那智経塚の一例だけであるが,他例もみな台座下桐の両側に脇侍用の蓮茎を取り付けた脹跡が残っており,もとは阿弥陀三諄として制作されたこと,各地から発見され,出土地として経塚や古瑣が多く,時代京国立博物館)。また最後の指摘からは,平安後期に特殊な信仰があったであろうと予測が立てられている。形状の面で一つ加えておくと,那智大杜像は天冠台の下に螺髪が鋳出されており,他像では結髪の上に宝冠を戴くと見える。本稿で考えたいのは,既に指摘のあった特殊な信仰とはどの様なものであったのかということである。この問題を考えるのには,これらの多くが経塚からの出土品個人像不動院経塚出土像阪王院像大里郡江南村野原所在の古墳出土像(埼玉限立1専物館蔵)大正院旧蔵像-53 系の常行堂本尊としての展開と,系の阿弥

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