鹿島美術研究 年報第9号
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包まれた象徴的表現をとり,具体的表現をとる場合でも,現世の姿そのままの僧形で表している(『日本の美術237』PL61,エルミタージュ美術館阿弥陀来迎図など)のであって,一般的な来迎思想とは異なる要素で作られたものであると推測される。それではこの像容は何を典拠としているかと言うと,当麻曼荼羅の左辺に十六観想の場面が現わされ,その中で第十二観の場面に,本小像と同じく,髯の前に宝冠をつけ,両肩を衣で覆って胸前で合掌する姿が蓮華上に描かれているのが注目される。この場面は,『観無量舟経』に説く十六観の内の普観想観を現わすもので,極楽浄土の蓮華の中に生まれることを想い,さらにそこで浄土の様々な様相を想へと説くことを描いているのである。故に,蓮華上に描かれた姿は,往生が完了して浄土に生まれ変わった姿なのである。ここでこの場面の蓮華上の姿が今問題としている小像の典拠であることをよりはっきりさせるために,浄土における往生者の姿が,他ではどのように描かれるかを少しみておこう。当麻曼荼羅中では,中腺の前の蓮池にその姿が見られるが,中尊に向合う形で背を向ける往生者を始めとして,条吊をつけた替薩形に現わすものと,裸の窟子形に現わすものとがあるようだ。知恩院の阿弥陀経曼荼羅図でも,立像弥陀の前の連地には菩薩形の往生者の姿が見られる。これらの例からすると,当麻曼荼羅中の普観想観における往生者の姿は,その服制が如来形となることにおいて特徴的であるとえる。そして,この特徴的な姿が本稿で問題としている小像と一致することは,当麻曼荼羅の普観想観がこの小像の典拠たることを補強しよう。さらに長香寺や阿弥陀寺の観経十六観変相図における同じ場面では,蓮華上に居るのは僧形であることからすれば,当麻曼荼羅中普観想観から取られたことはより確かなものとなるであろう。このように,練供養における観音の蓮台に乗る小像は普観想観から姿を採用したものとすれば,ここには先に考察した,浄土に生まれて更に修行して仏になるという考え方と同じ構造が指摘できよう。つまり普観想観では,浄土の蓮華上に生まれ,そこでさらに浄土の様々な様相を見る観法を行うわけだからである。よって,練供養における小像が「宝冠阿弥陀」と呼ばれることも故なしとしないと推測されてこよう。以上,未だ不明瞭な部分が残るとはいえ,当麻寺の練供養における宝冠阿弥陀如来像の係わりを追及してきたが,この行事の成立が何時まで遡れるかはさておき,木造宝冠阿弥陀如来の10世紀像を有する本寺において,この様な事象がみられたことは今後の研究の為にも注意しておく必要があるだろう。-56 -

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