鹿島美術研究 年報第9号
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④ 江戸期に於ける意匠の諧誠性の系譜研究者:たばこと塩の博物館江戸期には,浮世絵などの絵画をはじめとする美術工芸の分野に於いて,それまでにあまり見られなかった諧諒性をモチーフとした作品が多く見られるようになる。この状況は,ただ単に時代の求めるところ無秩序に行われたという考えもあるが,これらは庶民階層の文化的発達と歩調を合せ,彼等の好みや考え方を基盤とし生まれたものと考えられる。それは,古来からの系統的なつながりの中で,庶民というそれまで美術工芸にあまり関与しなかった階層の思考と精神,あるいは趣向による新しい美意識と方法で,ある種法則性にのっとり行われてきたものと考えられる。本研究は,この江戸期に於ける意匠の諧諒性の系譜を探り,関連の資料を整理しようと試みるものである。系譜の問題江戸期に於ける意匠の諧請性の代表的なもののひとつに「判じ絵(物)」がある。この遊戯を主体とする意匠の歴史的考察として,研究者は,平安期の「歌絵」が,基本的に求めるものを示すのに,文字を使用せず絵をもって示すことや,同じく平安期のの意匠化した文字や絵で和歌を示すなどが傾向的に後の判じ絵につながるのではないかとの仮説を示した。「益手絵」は,鎌倉期以降絵画でははとんど見られなくなるか,漆工芸の分野に多くの作品を見ることができる。漆工芸における鏑手の意匠は,絵画作品のそれより絵画的であり,新しい時代の趣向が見て取れる。これらの作品からは優美でありながら,背景に遊戯心が感じられる。当然ながら,制作された作品は直接的に意匠を描かず,関連の事物と,和歌の部分を記した葦手のみである。この意匠と箪手からそれがどの和歌によったか示されるわけであるが,当時から全ての人がその意匠を見てすぐに理解できたとは想像しにくい。どの和歌であるかを求めさせるというある種遊戯的行為を想定して制作されたものであろう。ただし,後の多くの判じ絵と異なりただ単に優美であること以外に,その構成要素は高い知識水準を必要としている。蛇足かもしれぬが,文字を巧妙に模様化した葦手蒔絵は,絵画的意匠として完成されており注意深く観賞しないと文字を見出せない事もありうる。このような状況から文字を探しだすこと(探させること)も,ある種遊びといえないこと岩崎均史57 -

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