もない。「塩山蒔絵」「春日蒔絵」「砧蒔絵」などが葦手絵の漆工芸として知られるが,特殊な例として陽明文庫蔵の「ものかわの伽羅箆」がある。これは,9.2X 9.9X 6.3cmの梨子地の小さな蓋付き小箱である。図様は松の木であろうか,その枝に雌(銀かながい)雄(金かながい)の鶏か,下には二つの枕,箱裏には鐘棲が蒔絵で描かれてある。箱の左右に紐を通す金具(銀)があり,その留め金具が「物」と「かわ」という文字になっている。これは『新古今集』の小侍従の和歌「待つ宵に深けゆく鐘の声きけば飽かぬわかれの鶏はものかわ」の歌意を汲んだ意匠であることは,鶏,鐘,枕(すでに枕の主はそこにはいないが,二つであることから,つかぬまの逢瀬の一時があったことを示している)そして,なにより,物かわとある金具の文字から断定できるものである。文字を意匠の中に取り組む葦手とは多少異なるが,基本的には同様の効果を考えたものの例としてあげておきたい。留守模様と見立絵本調査研究により,江戸期の判じ絵応用の意匠までの系譜の中間部分を埋めるもののひとつとして,「留守模様」の存在が浮び上がってきた。留守模様は,古典文学や故事逸話,あるいは和歌・謡曲などの芸能などの登場人物を描かず,背景や持ち物(小道具)のみを絵画の構図や工芸の意匠として描いたものである。「留守模様」という呼称も俗称かも知れぬが,この種の意匠をよくいいあらわしたものといえよう。例としては,「蛇・桜,松,梅の鉢植え・雪」を描くことにより謡曲「鉢の木」を表すといったようなものがあげられよう。そして,そこには北条時頼も佐野源左絵衛門常世夫婦も描かれていない,といったものである。さながら状況として,その場面から登場人物が忽然と消え,留守になってしまったという想定である。つまり,その話の重要な背景・小道具を示すことにより,見るものにどの物語かを想像させるものである。この登場人物を消し去るという大胆な構成方は,今のところ江戸以前の作例を研究者は知らない。近世以前の作例があれば別であるがおそらく近世以降に考察されたものであると考えている。この構成の中に,その実際の物語の時代とは異なる今様風俗の人物を入れれば見事な「見立絵」になる。このことから,留守模様の在様は見立絵の要素・法則を探る手がかりにならないだろうか。見立絵も近世以降,多くの作例を-58 -
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