みるものであり,近年注目されてはいるものの,その法則や解釈は現在さまざまな考えが示され,定説をみないのが現状である。見立絵ではその絵が,何の見立なのか(何になぞらえてあるのか)が文字により示されているもの以外は,図様から判断するしか方法はない。この場合,ただ構図や形が似ているのみで,その内容を決めてしまうには危険がある。見立絵には見立てた原話を示す証拠たる“もの”(姿・形・状況・小道具・背景などさまざまなものが考えられる)が複数認められないと仮にもどの話であるか決められぬと思う。つまり,見立絵風ではあるが,当初より見立絵として制作されていないものも多く存在しており,それをも見立絵として判断し,制作意図と異なる解釈をしてしまう危険性がありうるところから,見立絵解釈の一つのよりどころとして注愈していかねばならないと考える。見立絵解釈の根拠となりうる“もの”の具体的な例とパターンを,逆の形から留守模様が示してくれているのではないかと思う。この相互の関連はまことに興味深いものがある。また,たばこ入れの加飾に見られる関連する事物の部分的事象をたばこ入れの各所に配する趣向が多く見られるか,これなども基本的には留守模様の応用に他ならず,先に記した「鉢の木」の例とまったく同様の構成が見られるものかある。作例としては明治のものであるか,前金具(たばこ入れの蓋「かぶせ」を固定する装飾金具)が鈍と梅の木,衷座(前金具を袋(蓋)本体に固定する金具,本来,前金具と異なり段見えないものであるが,総合的な加飾を施し意匠の組合わせを重視したたばこ入れでは,重要な加飾部分として趣向を凝らしたものが多い)が松(共に香川勝広),筒に桜の花弁と能面及び謡曲「鉢の木」の一部が文字で彫られた(加納鉄哉)ものである(たばこと塩の博物館蔵・個人蔵にも同種の意匠のものあり)。ここにも人物は一人として加飾の素材には登場しない。このような例は,たばこ入れの加飾では通常よく見られ,江戸は勿論のこと,さらに内容の充実する明治の作品に多くなる。たばこ入れは,いうまでもなく,喫煙具として以外に庶民の装身具であったため,その加飾の趣向と素材には事の他神経が使われていた。これからも江戸後期には,庶民にこのような意匠が応用され,支持されていたことが理解できよう。そして,たばこ入れの加飾は,大胆なデフォルメなどで漆工芸の留守模様よりさらに諧諧性は高まっている。いずれにせよ,まだ諧諒性の系譜をたどれる段階には達していないと思う。飛び石59 -
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