鹿島美術研究 年報第9号
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の筆力を物語る優れた作品である。この「三十六歌仙図」扁額は「土佐家粉本」中に鏡像関係にある下絵が見いだされ,粉本による制作であることが裏づけられたの一端を垣間みることができた。光祐の作品と特徴光祐は「鶉団」(個人蔵)など土佐家の得意とした画題を描き継ぐと同時に,新しい工夫も行っている。源氏絵の分野では「源氏物語一薄雲図」絵巻(石山寺蔵)を描いているが,これは源氏物語の中のー場面だけを取り上げてごく短い絵巻としたもので,これ以降の土佐家の伝統となった。さらに「藤原藤房像・平重盛像・楠正成像」三幅対(個人蔵)は肖像画形式の歴史人物面であり,「土佐家粉本」の光茂筆肖像下絵を参照したと思われる,古格の漂う作品である。40歳の若さで死没したため,現存作品は多くないが,そのいずれもが「正六位……光高」と落款を記していることは注目される。光祐への改名時期など今後解明しなければならない問題であろう。光芳の作品と特徴光芳の作品は光起に次ぐ量が発見され,その活躍ぶりが推察された。まず注目されるのはその肖像画の豊富なことである。とくに「久田宗全像」「久田宗也像」(ともに官休庵蔵)などは「土佐家粉本」に下絵がありその制作過程を明らかにすることができるとともに,本画の着賛・箱書から光芳と久田家との交友関係を明らかにし得るものであった。光芳は,先年明らかにしたように(「土佐派絵画資料目録(一)肖像粉本(一)」),表千家七世恕心斎宗左の指導のもと,千利休像にさまざまな新しい工夫を試みている。こののち,土佐家では茶人との交友が始まり,絵画作品にもその影聾が表れていく。一方土佐家の伝統である源氏絵にも光芳は新しい画面形式を工夫している。「源氏物語色紙画帖」(松平公益会蔵)は円や六角形など,さまざまな形の色紙に源氏物語五十四帖を描いた,いかにも趣向に富んだ作品である。また一隻に六帖ずつの場面を描いた「源氏物語図」六曲一双屏風は数点あり,光芳の得意としたものであったと考えられる。その中には祖父光成とまったく同じ構図のものがあり,光芳が最初は光成の粉本を用いて描いたことが明らかになる。しかし光芳は家伝の踏襲に留まらず,この分野においても新たな工夫を行った。「源氏物語図」屏風(石山寺蔵)は画中の建物や樹62 -

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