⑥ 国画創作協会の活動に関する研究正13年の第4回国展から参加したいわゆる国屎後期の圃家については,いまだに不明20日に発行された新樹杜設立声明書であった。このなかの会員略歴には,わずかに明研究者:笠岡市立竹喬美術館国画創作協会(国展)の創立から解散に至る11年間の経過とその成果,またその後の国展出品画家の動向については,笠岡市立竹喬美術館の一連の展覧会においてほぼ明確になっている。また,従来写真資料でしかその存在が知られていなかった若手国展画家の出品作品の何点かか,これらの展覧会において新たに紹介され,国圃創作協会展の出品作品の全容が徐々に解明されつつある。ただ,国展に出品した日本画家87名のうち主要会員6名(入江波光,小野竹喬,楡原紫峰,土田麦儒,野長瀬晩花,村上華岳)に関する研究が,詳細な領域にまで至っているにも拘らず,若手国展画家に関してはいまだに生没年すら判然としない面家が何人か残されている。とりわけ,大な点か多い。竹喬美術館においては,ここ数年来,これらの若手国展圃家の国圃創作協会時代を中心とする経歴調査や作品発掘を進めているか,このたび鹿島美術財団の助成を得て,石橋謙吾,伊藤草白,上田慎吾,於川篤,粥川伸二,金田和郎,半田鶴ーの以上7名の画家に関する調査を行うことができた。それぞれの仕}身地や来歴地の踏在,また遣族及び関係者からの聞き取りを通じて,さまざまな知見を得ることかできた。とりわけ,国展出品者のなかで数少ない存命の上田慎吾氏から,国展解散時の詳細な状況をうかかえたことは質重であった。ただ,現在一応の調査を終えた段階において,石橋謙吾以外の6名については,従来知られている以上のここに記すべき新たな知見や新出賽料をほとんど見い出し得なかったといわなければならない。つまり,それぞれの国展以後の経歴や作品は実物とともに確認できたのだが,国展時代についての新発見はなかった。そのなかでただ一人,石橋謙吾については,国展時代の新たな経歴とそれに符合する作品を今回見出すことができた。国展の画家としては全く無名であるが,その経歴と作品内容には,国展の設立主旨に純粋に集うてきた若き画家たちの典型をみる思いがする。以下,この石橋謙吾について述べてみたい。石橋謙吾に関する従来の資料のなかで,経歴を唯一伝えていたのは,昭和3年11月-65 上薗四郎
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