2.二神型宗教造形の系譜に関する基礎調査系譜に関する調査としては,考古•発掘例や民族事例など若干の基礎調査に留まっる最古のものは天正2年(1574)(新里村,川井村)で,1600年までの資料は15件である。古い資料は何れも露頭型では男女の頭部を持ち,馬娘型は古いものにはない。呼称はオシラサマが一般的であるか,県南部ではオッシャサマ,オッシャボトケの方が多く,オヒヤサシ,オコナイサンという家もある。宮城県は沿岸北部の唐桑町,気仙沼市に集中してあり,80件が知られている。県気仙地方の続きとみられる。最古は慶長6年(1601)で,呼称はオッシャサマが一般的でオシラボトケ,オシラガミサマ,オコナイサマなどがある。宮城県南部から福島県北部にかけてオシラガミサマと呼ぶ石の祠かあり,カイコの神様とされるが,岩手のオシラサマとは別である。青森県東部も岩手県に続いていて,八戸市に天文15年(1546),天文22年(1553)などの古い賽料がある。馬の形の初見査料は元禄2年(1689)(十和田市)である。津軽地方のオシラサマは長い棒にきらびやかな羞物を培せた包頭型である。秋田県のオシラサマは数はあまり多くはなく,馬娘型も少ない。山形県庄内地方にはオコナイサマという包頭型オシラサマに似た男女一対の神があり,内部は篠竹で,家の神,作の神とされ,オコロモガエとして紙のオセンダクを着せる。福島県にもオシンメイサマと呼ばれる男女一対神があり,病人の家を回って,さわって治すという。形はオシラサマと同じで,烏帽子の男と,無帽または烏帽子の女に作る。以上より,オシラサマ(オッシャサマ)と呼ばれるのは東北地方北部に限られるが,その形態に注謡してみるならば,山形県のオコナイサマも,福島県のオシンメイサマもはとんど同一である。オシラサマは馬娘婚姻諒によりカイコの神とされることが多いが,造形的に馬娘型が出てくるのは江戸前期後半のことであり,家を守る神,家人の健康を守る神という性格が基本的なものとみられ,上記オコナイサマ,オシンメイサマとも通ずる。その意味で,オシラサマの語源としてオヒナサマ転化説は一理あるものと言えよう。た。-73
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