鹿島美術研究 年報第10号
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ているとは言いがたい。圧倒的な考古学的資料とその美術的価値の位置付けは古代美術史の研究者が常に直面する問題であるが,特にこのヘレニズム絵画の時期は,西洋美術が,その本質的な基盤を築く時期であり,美術史学の方法がもっと適用されてもよいように思われる。このような理由から,本研究は,新資料の墳墓壁画と墓碑における肖像の意味,叙述的手法,空間表現の展開を検討して,西洋絵画史におけるヘレニズム絵画の位置を再検討しようと試みるものである。④ ピエトロ・ダ・コルトーナと17世紀ローマ絵画に関する研究研究者:福岡大学人文学部助教授浦上雅司申請者は,数年来,ピエトロ・ダ・コルトーナの絵画研究を足掛りとして,17世紀ローマ美術界の諸側面に関する知識を深めてきた。その過程で,ローマ・バロック美術の特質を解明するためには,いわゆる「バロック的傾向」と「古典主義的」傾向とが,明らかに異なった理念と表現を伴って現れてくる,1620年代から30年代にかけてのローマ美術界の動向を,諸側面から考察することが必要不可欠であると考えるに至った。この時期の美術界の動向が後のローマ美術の流れに大きな影響を与えたことは,絵画の分野ではコルトーナやプッサン,彫刻ではベルニーニといった,ローマ・バロック美術を代表する美術家たちが本格的な活動を開始するのが,まさにこの頃なことに象徴されている。また当時,ランフランコとドメニキーノの美術観を巡る争いや,コルトーナとアンドレア・サッキとの絵画論争が起ったことは,美術論においても,先に触れた二つの傾向が大きな流れを形成しつつあったことを示している。17世紀後半になって厳密な美術理論を完成させたのは,古典主義的傾向のみであったが,少なくとも,17世紀前半には,当時の詩論やパトロンの立場も巻き込んで,多様な立場からの美術論があった。これは,詩人フェランテ・カルロや,ジュスティニアーニ,マンチーニらの美術論などからも知られる。コルトーナは画家であり建築家でもあり,後に美術論にも手を染めた。彼はまた,様々なパトロンたちと親密な関係にあった。彼の活動を軸にローマ美術界の多様性を考察することは,17世紀ローマ美術の特質を解明するのに,有効な手段である。-81

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