れた質とオリジナリティを備えているケースは他に類を見ない。この問いに答えるためには,原本とコピーの共通点や相違点を確認する作業と共に,それぞれの作品が成立した時代の動向を把握し,また壁画や彫刻,工芸も含めた関連する美術作品を考察する必要があるだろう。前篇挿絵入りの写本を見比べると,詩篇テキストはそれぞれの時代の美術家に豊かなイメージを喚起させ,また美術家も,詩的言語に形象を結び付ける試みに挑戦し続けてきたことが理解できる。しかしながらユトレヒト詩篇とそのコピーでは,テキストに基づくモチーフが一貫性のある景観の中に盛り込まれて一篇の挿絵となっているので,一つの構図の中でモチーフ相互にどのような関係が生じているか,また一篇のテキストの主題をいかに視覚化しているかなど,挿絵の表現する意味やメッセージに着目した構図分析を本格的に行う必要がある。また時代と共に,挿絵の画面形成の原理がどのように変更されてきたのかについても,丁寧に確認しなければならない。それによってユトレヒト詩篇とそのコピーの挿絵が,敢えて一つの景観にモチーフを纏め上げる方法を選び取った要因の理解に一歩でも迫っていきたい。こうした一連の分析と考察を経て,初めてこの写本群が中世美術史上果たした役割と意義とを明らかにすることができるだろう。⑧ 隋彫刻の成立過程とその意義に関する考察ー在米の中国彫刻及びインド,東南アジアの彫刻の調査を通じて一研究者:京都大学大学院文学研究科博士課程従来,隋彫刻の成立過程を論じる際に,グプタ系彫刻様式の受容・影響という観点からこの問題を積極的に考察した論考は少なかった。その理由は,隋彫刻様式があまりにも中国化されている,という点に起因している。しかし,隋彫刻においてグプタ様式の表現原理がいかに中国的に消化されたとしても,隋彫刻の成立契機として,インド・グプタ系彫刻の様式や形式の受容を無視しては考え難いであろう。本研究は,a)グプタ様式が東南アジア彫刻を介して中国に流入した際,最初にこれらの外来様式を受容した中国の地域はどこであったか。そしてグプタ様式のいかなる要素が,どのような仕方で受容されたのか。b)中国に流入したグプタ様式は,北斉・北周という様式的に地域差を有する各地にいかに伝播して,受容されたのか。C)84 -鄭證京
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