鹿島美術研究 年報第10号
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領域を広げて考えることで,従来の材質や技法,ジャンルの別による研究対象の設定ではなく,むしろこれを横断するようなしかたで,それが描かれた空間のコンテクストを主体にした領域設定を試みる端緒となる。シンボリズムの問題についても,花綱の個々の細部の確認にとどまらず,それが描かれたコンテクスト(葬祭美術か,あるいは饗応の場面か,など)に引きつけて考察することで,壁面と床面との境界を超えた研究成果が期待される。したがって,以上のような理由から,東方ヘレニズム世界に豊富な作例が残されているモザイクについて,細部の精査と,報告書等を通じての空間コンテクストの再構成を構想するに至った。⑭ 近江における阿弥陀彫刻の基礎的研究研究者:滋賀県立近代美術館浄土教美術は,日本の仏教美術史を考察するうえで,非常に大きなウェイトを占めている。彫刻史においても,奈良時代以降,多くの作例が確認されており,特に11世紀以降,浄土教の隆盛とともに作例も増加し,個別また全体的な考察も加えられている。平安初期,天台僧円仁の請来による体系的な阿弥陀信仰に端を発し,主に比叡山を中心とする天台宗から浄土教教学の進展が見られ,様々な浄土教美術が開花することになる。近江は,早くから比叡山の影需が及ぶ土地であり,浄土教の主腺である阿弥陀如来の彫像も各地に遺存している。阿弥陀如来像の形式も,常行三昧堂の主難と考えれる所謂,宝冠阿弥陀像,金剛界曼荼羅との関連が求められる通肩・定印の坐像,平安後期以降の浄土教隆盛期に流行をみる定印の丈六像,来迎印の坐像,来迎印の立像など,浄土教教学や各時代の思潮・状況に対応していると考えられる。日本天台宗の中心地比叡山膝下の近江に遺存する阿弥陀如来像の基礎的データを可能な限り集梢し,そこから導き出される年代観と,浄土教教学を検討することによって,阿弥陀如来像の具体的な展開,浄土教教学の展開と彫刻史の関係などを解明してゆきたい。高梨純次-88 -

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