の展開の過程と特質を詳らかにしようとする機運が高まりつつある。こうした近代の日本美術の研究状況の中,松本竣介は1940年代の美術の動向を考える上で重要な位置を占める画家の一人として注目されている。日本的変容を受けながら形成された近代的都市とそこに生活する者の心情をリリカルに表徴する都市の光景を描き出した大小の作品群。時代状況との関わりを,雑誌「雑記帳」の発行や「生きている画家」の発表によって,自己の良心へ問いかけつつ,芸術家にとって最も困難であった時代を真摯に生きた松本竣介。戦前から戦後への近代の転換点において,松本の存在は決して小さくない。さらに,池袋モンパルナスの赤翌アトリエの活動から「雑記帳」時代を経て,新人画会へと連なる1930年代から1940年代にかけての松本の周辺に参集した若い芸術家たちとの交友を探ることは,当時の美術界の表層の流れとは別様の様相を描き出すことになるだろう。また,当時の画家たちを囲饒する困難な時代状況を詳論することは,1940年代の美術に関する基礎的資料の蓄梢と同時に,総力戦国家体制下の美術行政の在り方,すなわちその制度や仕組みを明らかにし,それらと美術家の関係を問うことになるだろう。松本と共に活動した画家や周辺の人々が少なくなる現在,早急なる聴き取り調査などの実施は,文献資料の収集,整理と共に,次代の研究者たちへの責務でもある。⑯ 1930年代における中国上海を中心とした印刷文化と魯迅の版画運動が問う意味研究者:跡見学園女子大学教授青木〔意義〕一方的に言えば,版画・商業美術はその時代の芸術潮流,杜会的諸現象の受容は他の芸術分野に比べて直接的である。この事を仮説的な前提にして,図像を通して広く大衆に浸透して行く美意識,そして美術という存在が杜会的諸現象への参画をどのように成してきたかを確認する事によって,杜会と美術,個人と美術の関係が具体的資料を基に語る事が出来る。又,あたかも革命闘士と称されていた魯迅像を,魯迅の外国作品のコレクションを通して再検討し,人間臭い魯迅像,もしくは美術観を浮び上がらす事ができる。〔価値〕中国には近代版画,商業美術の研究者が少なく,近年までつづいた政情不安な時代の中にあって,中国の近代美術の資料は分散しつつある現状,それらの美術作茂-96 _
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