在不明となっている振姫調度やその他の婚礼調度についても,文献の発掘と整理も含め,ぜひ調査を進めたいと考えている。⑱ 本多錦吉郎の著訳書の研究研究者:広島県立美術館主任学芸員大井健地本多錦吉郎(1850-1921)は広島藩士の息として江戸に生まれた。明治7年,イギリス帰りの国沢新九郎に入門し,国沢の死後,画塾・彰枝堂を継承,草創期の洋画家として,また美術教育家としても大きい業績を残した。明治10-14年,団々珍聞の挿絵を担当し社会への批判精神を発揮してもいる。本研究は本多錦吉郎の数種にわたる著書,訳書などの著作物を通じて日本近代美術の濫腸期の具体相をきめ細かく明らかにしたいと考える。従来,技法・材料研究は研究が手うすな分野であるといわれてきたが,本多の著述は,一般的な美術入門や作家紹介の伝ではなく,実際的な絵の描き方,技法・材料研究を主とする。作画技法に即したものであるゆえに悪しき抽象性,観念性におちいらず,未開拓のこの分野に具体的に寄与できると思う。現代の技法書の類との比較も興味深く考える。⑲ 中世漆工芸における「和」と「漢」研究者:共立女子大学国際文化学部助手「和」・「漢」の二項対立による図式は,日本美術・日本文化を説明するうえで常に現れる問題であるが,この二項がおりなす複雑な構造は,中国文化の日本への影響というような単純なものではなく,日本文化の特質に深く関わる問題を内包すると考えられる。本研究の目的は,この「和」・「漢」の構造が,漆工芸の分野において現れる個々の現象を,実証的に解明しようとするものである。日本における漆工芸の展開は,その様々な技法と装飾様式の始源において,多くを大陸渡来の文化に負っているが,平安時代のいわゆる和風化以降,中国の漆工芸史からはある程度独立し,独自の発展を遂げたと解釈されている。特に中国でははかばかしい発達をみなかった蒔絵の技法は,日本の特産品として大陸に向けての輸出品目の日-98 -
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