鹿島美術研究 年報第10号
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中心を占めるほどに流行•発達したことは周知の如くである。ところで,南北朝・室町期に盛り上がりをみせた「唐物」趣味の対象には,堆朱などの彫漆類を中心とした漆工芸品が含まれており,招来された賂しい数の漆芸品は独特の見方で細かく分類され鑑賞されていた。これら舶載された漆芸品の積極的・熱狂的受容の一方で,和物としての蒔絵作品はどのようにとらえられ,その制作意識には何らかの変容があったのだろうか。蒔絵作品の,「唐物」に対置される「和物」としての側面に注目するとともに,その中に現れる「唐」風,異国風の表現を検討し,外来文化の摂取の複雑な構造を検証してみたい。外来文化の摂取過程における「和」「漢」の構図は,美術史の分野では,主に水墨画を中心とした絵画史の側面から語られることが多かったが,工芸分野においても共通の特質をとらえることが可能であり,この点で本研究は意義ある成果を得られるものと考えられる。⑳ 江戸時代後期大坂における画家と儒者の交流一着賛資料を中心に一研究者:大阪大学大学院文学研究科芸術学専攻江戸時代後期の大坂において活躍した画家については,近年徐々に注目が集まり,その伝歴や主だった作品も紹介されるようになった。しかし,彼らの伝歴や作画活動の実態,支持層となる町人社会との関わりは,未だ十分に検証されているとはいえない。本研究は,画家たちとやはり当時大坂で町人社会の支持を得た儒者たちとの交流を明らかにすることで,かかる問題を解決するための具体的な資料を見出すことを目的とする。当時の大坂では,中井竹山•履軒らの懐徳堂,篠崎小竹の梅花社,藤沢東咳の泊園書院などが町人の儒学教育に携わり,片山北海,頼春水,篠崎三島,木村兼酸堂らが属した混沌詩社は,町人層の支持を得て活発な詩作活動をおこなった。これらの儒者が当時の大坂の文化振興に果たした役割は極めて大きかったと認識できるが,彼らと画家たちの間の交流は,絵画作品への彼らの着賛から窺い知ることができる。殊に彼らが遺した詩文集には,着賛の記事が散見され,その中には絵画制作や着賛の状況,制作依頼者などを具体的に伝えるものも少なくない。そして,これら着賛記事の中に博士後期課程高松良99 _

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