鹿島美術研究 年報第10号
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⑬ 1930■40年代の日本の洋画壇における美術批評家の役割一川路柳虹,外山卯三郎,荒城季夫の活動を中心に一研究者:北海道立近代美術館学芸第二課主任学芸員大熊敏之美術史研究において,対象とする作家,作品,美術動向についての美術批評史ないしは研究史的考察が,当の研究課題にとり組むうえで重要な意味を持つことは,改めていうまでもないかもしれない。しかし,日本近代美術史の分野では,この視点は従来,比較的軽視されがちであったように思われる。もちろん幕末から明治時代にかけての美術については,同時代の美術理論,美術評論が実制作におよぼした影聾が正当に認識され,さまざまに史的考察の対象となっているが,1930■40年代の美術については,実作者と批評の影響関係の全体像を実証的に論じた研究例をこれまでにほとんどみいだすことができない。わずかに研究が深められているのは,日本の超現実主義美術の展開に果たした瀧口修造の役割についてのみであり,しばしば指摘される荒城季夫と戦争画の問題についても,近代美術批評史の分野での中村義一氏の先駆的な業績を忘れるわけにはいかないが,それにしても,1930■40年代の日本美術の展開における美術批評の役割の全体像は提示されていない。だが,この時代の多彩で複雑な絵画動向を明確に分析するためには,ぜひとも,ヨーロッパ近代美術の受容と日本の画家たちの制作活動に与えた美術批評家の影響を体系的に把握する必要があるのである。本調査研究計画は,こうした従来の日本近代美術史研究で見落とされがちであった部分をいくばくかとも補い,さらに申請者がここ数年研究課題としている1920■40年代の日本洋画史についての考察をより深めることを目的として構想されたものである。⑭ ウィリアム・プレイク「ヨプ記挿絵」の成立過程について研究者:北海道立近代美術館学芸第二課長浅川ウィリアム・プレイクの版画連作「ヨブ記挿絵」は詩人・画家・版画家プレイクの芸術の集大成である。これまで「ヨプ記挿絵」の研究にはおおまかに二つの流れがあった。一つはプレイ1930■40年代の日本美術の全体像のなかで論じられることは少なかった。むろん日本泰-102

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