鹿島美術研究 年報第10号
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Damon, K. Raine),もう一つは版画連作として結実するまでの図像の変遷及び制作クの予言書に見られる思想や象徴と関連させて解釈する立場(J.H. Wicsteed, F. の過程(特に版の段階)を『ヨブ記』をテーマにした素描・版画,また「ヨブ記挿絵」のステートを資料にして実証的に跡づける立場(G.Keynes, R. N. Essick)である。ブレイクの芸術における「ヨプ記挿絵」の性格からこの二つの立場からの研究を総合化していく必要があろう。また,特に図像の意味を検討するうえで,図像の変遷など構想のプロセスを明らかにすることが課題と思われる。本研究は,イギリスの大英博物館,テートギャラリー,フィッツウィリアム美術館などの所蔵する「ヨブ記挿絵」及びこれと関連する作品を調査し,図像学的な視点から「ヨブ記挿絵」の成立過程を検討するものであり,ブレイク芸術の特質を一層明らかにするうえで重要なものと考える。⑮ 文学者と美術一正岡子規及び夏目漱石の絵画観一研究者:京都市美術館学芸課担当係長塩川京子明治の歌人,俳人,随筆家正岡子規は,幼い頃には画家になりたいと望んだ程の絵画愛好家であり,美に対して鋭敏な感覚の持主であった。晩年の七年間,ほとんど寝たきりの状態にありながら,草紙,画帖,大津絵の類を枕許に置き,病床の慰めとし,自らも草花や果物を写生し,絵画への造詣を深めていった。晩年の随筆「病林六尺」はさながら美術評論の趣を呈している。とりわけ四条・円山派などの花鳥画への愛着が彼の俳句,和歌へ及ぼした影響ははかりしれないし,彼が提唱した“写生”の動機には,四条・円山派と何らかの繋りがあったかもしれない。美術愛好家,美術評論家としての正岡子規に照明を当てることにより,正岡子規の別の面を引出すつもりである。また子規の鋭敏な色彩感覚は俳句などに顕著に窺われるが,それは絵画的なものヘの憧れであったろう,彼の作品にみられる絵画性を探り,それが‘‘写生”とどのように関わっているかも調べてみたい。夏目漱石は研究する人が多数いるだけに手強い相手であるが,彼の作品や随筆,美術批評から,彼の絵画観の一端を探るつもりである。-103-

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