鹿島美術研究 年報第10号
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存本は近世の写本)に描かれている真言院の段の画中画・十二天は鳥獣座に座るもので,現存本(京博本)十二天と明らかに異なる画像であり,この絵巻成立時期に甲本が用いられていた可能性が指摘されてきた。筆者は,この間の事情を検討し,焼失前の真言院所用の根本画像が画中画十二天と同じように鳥獣座であったことを明らかにし,甲本が根本画像に近い図像を示す可能性を指摘した。一方,五大聰画像については,これまで年中行事絵巻画中画と現存本(東寺本)は,火焔光背の形が違う点などしか言及されてこなかった。年中行事絵巻は近世の写本でもあり,細部に省略されている点も多いので,さらに慎重な検討が必要であるが,図版から両者を比較しても,諄像そのものが,現存本とは別系統の図像を示すことは明らかである。これまでの十一点の研究で得られた事実からも,年中行事絵巻画中画五大尊の検討は,後七日御修法における五大聰の根本画像を考える上で,極めて重要である。このことによって,東密最大の御修法である後七日御修法における五大聰画像が考察でき,ひいては,平安時代の五大尊の受容の実態を知る重要な手がかりともなろう。また,現存する東寺本五大尊はもちろん,醍醐寺本五大聰や各種図像などの性格や位置づけにも有効と思われる。さらに,京博十二天とあわせて考察することによって,乙本の手本であった仁和寺円堂院本の性格も明らかにすることができよう。⑩ 中国仏画の図像的研究研究者:神戸大学助教授百橋明穂本研究の目的は中国物画一ことに宋元以降の一における中国独自の図像的発展の内容とその軌跡とを明らかにするものである。単に日本の仏教美術の源流として安易に同一性のみを強調した従来の研究が見落していた中国独自の図像を解明する。中国は日本と異なり,唐宋以降も終始近隣のチベット・西城・モンゴル・朝鮮との交流の中で,仏教図像が変遷をくり返していた。その交流の過程を,ことに日本とは密接な関係を有しなくなった宋元以降についても,追跡することによって,日本とは別の発展経過をたどった中国の仏教美術の独自性を明らかにしたい。それは,日本における中国美術研究への一つの再検討である。ことに宋元以降の中国は日本の仏教美術とは全く別途の発展をとげたことが予見されているが,従来踏み込んだ研究は全くない。一方チベット密教の研究を通した中国仏教美術の研究も余り-106-

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